ボロボロな精神状態で書くとき
数年前だったか、いま思えばひどく心が傷ついたことがあって、でも「あのひとに傷つけられたんだ」なんて認めたくもなくて、しばらく気持ちがぐしゃぐしゃになった。
好きな人とのことで傷ついたとかならまだいいけれれど、好きでもない人に傷つけられるなんて悔しいから認めたくない。そういう傷は痛がってみても気持ちよくなれるもんじゃないし、かといって見て見ぬフリもできず、扱いに困った。
それまで、うれしかったとかなしかったこと、忘れたくないなと思ったことは、よく日記に書いていた。だからそうやって傷ついたときも、本当は自分なりに言葉にしたいと思った。なのに、ぜんぜん書けなかった。「このドロドロとした気持ちをスマホ画面に書き落としてやろう」と思ってるのに、ただ思うばかりで指は動かない。まっさらなスマホの画面を見つめて時間が過ぎた。
書くことは考えることでもある。だからか、自分のなかで受けとめきれてないことや処理しきれてないことは、言葉にできるまでに時間がかかるのだと知った。
最近もちょっと精神がすり減ることがあっただけで「だめだ何も書けない」と思うような状態になってしまい、そんな日のことを思い出したのだった。
なにかに傷つくことも、心が動かされるという意味ではうれしいことが起きたときと同じ。それが種になって、言葉が感情と一緒に湧き出るみたいに溢れて、すごい速さで文章を書けることもある。でも、傷つき方がわからなかったり、どう捉えていいのかわからなかったりしたときは、全く書けなかったりもする。
ちなみに、そうやって認めたくない傷つき方をしたときの場合は、結局何日かかかったし自分なりの思いをうまく表現できたとは思えないものの、なんとか言葉にして、自分のなかで少しずつ消化させていくことができた。
書くのにも、きっと最低限の健やかな精神状態が必要。逆にいえば、たとえ傷ついてボロボロになったときでも、その感情や思いを言葉にできたなら、悲しみや痛みや悔しさといったマイナスの渦にとどまり続けることなく、先に進めるように思う。書くことはつらく苦しい日もあるけれど、ときに自分を先へ先へと連れてってくれる。
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