愛すべき無意味について
世の中には、意味のあることがたくさんあってそれが普通だから、理由もなく意味を探してしまう癖がついている。
なんでこんな性格なんだろうとか、なんでこういう境遇なんだろうとか、なんで生まれたのかとか、どうしてあの人は死んでしまったのかとか。そんなことにまで、意味を見つけようとしてしまう。癖みたいに。
意味は、考えすぎると疲れてしまう。
それがわかったのは、割と最近だった。長年、「なんか疲れちゃうな」とモヤモヤした気持ちになることがあったのだけど、理由はよくわからなかった。
それを「わたし意味に疲れてたんだ」と気づけたのは、ある人がくれた本だった。ワクサカソウヘイさんの「ふざける力」。
その本では、わたしが長年感じていたことが言語化されていて、自分のモヤモヤを紐解いてもらえた。意味はときに疲れること。そんなときには、ふざけたり無意味なことをして、決められた構図から抜け出していい、ということ。その爽快さを教えてもらえて、無意味でもいいんだ!って元気が出た。
ワクサカさんが飲食店でアルバイトしていたときの「無意味」エピソードが忘れられない。
めちゃめちゃ忙しいある日、そのバイト先の人が突然「いまからオレは石を焼く!」と言い出して、本当に石を焼いて、水をかけて、なぜか焼き石に水を実演した話。
そういうのが、わたしは好きだ。
思えば、ずーっと無意味なことが好きだった。笑っているときって、「意味がわからない」ことばかりだった。意味のないことって、なんでかわからないけど本当に面白くて、救われる。
高校のとき、友達が何を思ったかアイスモナカにハムを挟んで食べたって話も、未だ意味わからなすぎて覚えてる。こんなこと覚えてて何になるんだ。
でも、そんな無意味をくれる人たちがとても好きなのだ。
それから、人間らしさも無意味なことに垣間見える気がしている。
なぜか自分のことを絶対好きにならないような人ばかり好きになるとか、変な性癖とか、湿気ったおせんべいが好きとか、スーパー行くと要らないものを買っちゃうとか、せっかく大阪に住んでるのに銀だこが好きとか。
「なにそれ、意味わからん〜〜!」みたいなことに人間くささを感じて、めちゃめちゃ愛おしくなってしまう。
前にも一度noteで無意味について書いたけど……いま再び無意味について語ってしまった。
というのも、最近みうらじゅんさんへの思いが再燃していて、本などを読むうちに「やっぱりみうらさんは無意味の価値を伝える天才だな〜〜〜」と思ったのだ。その勢いで書いた。
みうらさんは「そこがいいんじゃない!」を見つけて伝える天才。
ちなみに今日は、そんなみうらじゅんさんと、いとうせいこうさんのトークイベントに初めて行く。
本当に嬉しくて、朝からうきうきしている。楽しみ。
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