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ニュースを見て知ること、考えること

ヤフーとLINEが、今年も東北支援の施策をやったいた。『Yahoo! 検索』と『LINE Search』で「3.11」と検索することで、それぞれ10円ずつ寄付される仕組み。純粋な気持ちで、この取り組みをいいなと思う。かなしいニュースを見て胸を痛めることもあるけれど、結局わたしにできることは、知ることと考えることなんだという結論にいきつく。

3.11の震災が起きたとき、わたしは高校2年生だった。普通に生活して普通に勉強して大学に通えることがいかに幸せかを噛みしめながら、ただただ勉強した。それだけだった。勉強する以外は何もできなかったし、しなかった。そのまま、わたしは大学生になった。

のうのうと大学生活をスタートさせた自分に後ろめたさがあり、大学1年生のとき、宮城の石巻市と南三陸町へボランティア活動に行った。震災から1年と少し経った頃。ところどころに、ぺしゃんこになった車や瓦礫を積み上げた大きな山が残っていた。住宅があったはずの場所には、土台部分だけが残されていて、そこにちゃんと生活があったことを思った。少し前まで誰かの生活があった場所には、腰ほどの背丈の雑草が生い茂っていた。

現地に足を運んで、初めて知ること、わかることがたくさんあった。頭で知ったフリしていたことを、少しは心でわかることができたように思う。ただ、ボランティアに行ったはずが、自分が何かに貢献できた実感は正直あまり持てなかった。ただの自己満足じゃないか、と思う自分がいた。

今日、震災関連のニュース記事を読みながら、まだ自分が知らないこと、わかってないことがたくさんあることを知った。今になって思うのは、ボランティアに行ったかどうか以上に、その出来事について知って感じ取って、考え続けることの方が大事だということ。ただ関心を持って、わかることを増やすだけで、いつか誰かを傷つけないで済むかもしれない。ときに誰かを傷つけ分断を深めていくのは、無関心だ。

それは災害に限った話じゃない。平和についても、世の中についてもそう。大それたことは何もできないけど、せめて知ることと考えることだけは続けたい。自戒をこめて。

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