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流産した時のこと。

元々、胎嚢が小さめだと言われていました。小さいって何?
よくわからなかった。ネット検索の鬼。良くないことも書いてあるけれど、大半が大丈夫だろうという情報。特に自分がどうにかなるとは思っていませんでした。

その後の受診で、心拍も確認出来ていました。「次の検診のあと母子手帳貰ってきてね。」なんて先生にも言われていて。帰りに母子手帳ケースを店に下見しに行ったりなんかして。

その数日後、出血とお腹の張りを感じて再度受診。心拍止まっていました。

病院へ行くまでの間、流産だったら死のうかななんて思いながら運転していたのですが、実際流産って言われたら死ぬ気にもなれない。呆然。
流産止める薬もいらないねなんて軽く先生に言われたのは覚えてる。諦められない私は、薬下さいって意味ないのに処方してもらって。

そのあと、奥の部屋で休ませてもらったのですが何を考えていたのかも今は思い出せません。車で来たの?代わりに迎えに来れる人はいる?なんて言われたけれど、車置いてなんか帰れないよって現実的なことは思ってたかな。

次の日、朝方からひどい腹痛で眠れず。トイレで出血とともに胎嚢を排出しました。痛かった。怖かった。悲しかった。泣いてパニックになっている私の代わりに夫が便器の中から胎嚢に包まれた赤ちゃんを取りだしてくれました。

病院に着いて、祝日だったのでインターフォンを鳴らして入口のところでドアが開くのを待っていると、中から出産したばかりの赤ちゃんを抱えて退院する人とかち合いました。なんだろう。この状況。私はナプキンに包まれた胎嚢の中の小さな赤ちゃんを手にしているのに。なんだろう。すごく嫌だった。今でもあの嫌悪感、忘れられない。

流産したことは家族や友人には話したけれど、詳しくは話していません。話したってわかってもらえない。経験していないから。

私は夫と家族を作りたかったから結婚しました。子供もいる未来を想像出来たから。だから妊娠した時、もう生まれたときのことを考えていました。たった8週しかお腹にはいなかったかもしれないけれど、もう私たちの子供だった。この気持ちは経験した人にしかわからない。

流産してすぐに友人が妊娠しました。「母子手帳貰ってきた。」なんて報告されました。あぁ、昔からの友達でもこの気持ちはわかってもらえないんだなぁって、このことがきっかけで友人とも疎遠になりました。

もう流産してから1年以上が経ちましたが、まだ妊娠していません。流産した日のこと、そのときの感情、これからも忘れないと思う。もうその日を思い出して泣かないけれど、乗り越えてはいない。妊娠して、無事に出産出来るまできっと乗り越えられない。そう思っています。






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