武田地球

わたしの話しをしています、詩を書くのがすき、だいすきな人と詩を書いて生きています、今はこちらにいます→https://twitter.com/t_chiq1976

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マガジン

最近の記事

ヤマダ電機キリバス店  (2021年7月)

ヤマダ電機には何でもある だから諍いは起こらない 朝はホームベーカリーでパン コーヒーメーカーでエスプレッソ ひと休みしてからイヌと散歩 ヤマダ電機に似合うのは まんまる顔の茶毛のイヌ 午後はお客さん対応 疲れたらマッサージチェア 大画面テレビではキリバス 世界一早く朝日が昇る国 「ヤマダ電機キリバス店をつくろう」 社長も思わず快諾 ないものがないからあっという間に完成 キリバス人は大歓迎 採れたての魚と最新式グリル 夜通しのパーティー 翌朝はここぞとばかり ホームベーカ

    • 豆大福の日 (2021年4月)

      四月の終わりにちかい 桜の花はもうとおい あっというまに一日を消費して 気づけば空をみていない 豆大福が食べたい ここ数日そのことばかりを考えていて 生活はとにかく平和だった わたしという構造は案外むずかしくないと うすく片栗粉のついた指をみて 満足げに笑っている とてもよい 空が青くて豆大福は白い そのとき急に もっとも大事なことを思い出して駆けだす

      • 新宿のシャンゼリゼでベトナムごっこをしたいだけ (2017年5月)

        顔もわすれたし、声もわすれた 名前に至ってはもともとしらないし、借りた本もどこに置いたかわすれた いっしょに観たものもわすれたし、いっしょに歌ったものもわすれた シャンゼリゼごっこをしたことは覚えているけれど、シャンゼリゼごっこがなにかはわすれた うっすらと夏だった、いつの夏かはわすれた シャンゼリゼは新宿にあったように思うけれど、どこがどうシャンゼリゼだったかはわすれた いい大人がふたりでどうしてシャンゼリゼごっこなのかと考えたけれど 気持ち悪い感傷はだいきらいで、はじ

        • 生きるためにパイを焼く (2020年10月)

          女は思い出したように レモンパイを焼いた なんとなくだ いのちにはそれ以上の事情が表明されていない ある朝 ネコの死体が市の指定の袋につめられて ゴミ集積所に放ってある 半透明は丸みをうきあがらせ どうやらいまだに生ぬくい 陽光に照らされているのは 何故なのだろう 遠くからみていた オーブンの熱では 歓喜や悲哀はすこしも減らない 人生は短くて たった数回パイを焼いたら必ず終わる 黙っていた もうずっとずっと黙っていた

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        • エッセイ
          6本
        • 8本

        記事

          大阪のミャンマー (2018年7月)

          大阪のミャンマーはやたらに生真面目な青年で、直立不動がよくにあう。まいにち夜の公園で詩を朗読しているから、はたからみるとちょっとあれで、しかも時々に勝手に感極まって泣いているという。 仕事がおわるとミャンマーは6キロの道のりを歩いて帰宅する。ひたすらにまっすぐ歩きながら、へとへとのミャンマーは詩を書いたりしている。ミャンマーは定期券を買ったことがない。ミャンマーには一ヶ月先の生活がわからない。その日暮らしのちっぽけな存在が、ミャンマーそのものだ。 ミャンマーはひとり橋を渡

          大阪のミャンマー (2018年7月)

          トウキョウのスカイツリー(2022年2月)

          マルちゃんはたかいところに住んでいる あれがスカイツリーなんだよ ときどき神さまが降りてきて お花を咲かせたりする だからまだ寒いっていうのに この街にはもう梅が咲いている ゼウスもアマテラスもブラフマンも 神さまの90%はせっかちだ それからあれが江戸川 トウキョウと天国の境目をながれる川 向こうでわらっているのがひいおじいちゃん マルちゃんが粘土でつくったお菓子をたべて死んだ すごいね、マルちゃん、トウキョウにはなんでもあるんだね それからふたりで ものすごく美味しい

          トウキョウのスカイツリー(2022年2月)

          ライチと花 (2022年11月)

          窓の近くに立っていた、ときどきライチの名を呼んだ、花がよく咲く家だった   ライチは空想上の犬だった、それなのによく懐いた いつもわたしたちについてきて、ダルメシアンと何かの雑種だった 模様がすこし変わっていた、脚が短くまるかった、なぜだか一度も吠えなかった   花が咲かなくなったから、ライチはいなくなった 逃げてしまったのだろうか、あるいは死んでしまったのだろうか   あれから何十年も経って、 机の引き出しの奥、もっとも大切なものをしまってある箱に、わたしは一枚の絵を見つけ

          ライチと花 (2022年11月)

          サンデイ (2023年6月)

          ある晴れた日曜日の朝 みうらくんにでんわをする ちきゅうさん、僕は今、 自転車でイオンに行くところで、 いろいろと考えてしまって、 生きていてよかったなあとおもって、 ラブホテルの路地の陰で泣いているところなんですよ、 そう言われた そうしてほとんど何にも話さずに じゃあイオンに行くんでと、でんわを切られた 週末金曜日 助けを求めて駆け込んで来た人は 僕はネットカフェ難民です、と言った そういうことがたくさんある世の中で わたしはどこを見ていたらいいんだっ

          サンデイ (2023年6月)

          桜のトンネル

          じぶんでつくった会社をたたむことにした、長い間したお仕事を辞めることにした、 じぶんの一部が失くなるみたいでずっと、さみしかった、 お仕事を辞めることを伝えると、 わたしがオアシスだったと言って、泣いてくれた人がいた、 こんなかなしいことはないと、倒れるくらい泣いてくれた人がいた、 福祉についてこんな風に真剣に語れた人ははじめてだったんですと、声を押し殺して泣いてくれた人がいた、 うちの会社に来てくださいとたくさんの会社から声をかけてもらった、 知らない会社からもお誘いをう

          桜のトンネル

          田中さんとの約束

          詩がうまいからうらやましかった、一度だけ、山の上の詩人の集まりで、会ったことがあった、わたしは人見知りで話しかけるのもいやだから、ことばを交わすことは殆どなかった、 そのあとメールでやり取りをして、あなたはわたしを散歩に誘ってくれた、わたしとあなたの家は同じ地方にあって、あなたの家のちかくには川があるというような話をきいた、 ねえ地球さん、二人で川の近くをお散歩しましょうね、そんな約束をした、わたしは約束が好きで、約束があると生きていられる気がする、 それから一年位、何のや

          田中さんとの約束

          ハムスターのおでん

          わたしの原風景のひとつ、いまよりさらに無茶をしていた時代、古いアパートでのふたり暮らし、お金がなくておいしいごはんがあった、バランス釜のちいさいおふろ、きらきらの入った砂壁、やさしい生活だった、アパートには外階段があって何回か落ちた、 ハムスターを飼っていた、ハムスターのなまえはおでん、茶色でいつもほかほかしていた、回し車をまわすのがとてもじょうずで、地球をとびだして月にとどくくらい、懸命に回し車をまわしていた、ハムスターのおでん、 数年前にゲームでつくったあの頃の生活、

          ハムスターのおでん

          うちの猫はさみしがりで、トイレにもお風呂にもついてくる、わたしは大人の人間なのにさみしがりで、いつも誰かを呼んだり、呼ばれたりしている 来年の手帳をさがしながら、今年の手帳をみる、ちいさくまた誰かを呼んだり、去年のわたしや来年のわたしに話しかけたりしている、外に出たら涼しくて、気づかないうちに秋になっている とてもしずかな場所に来て、しずかに暮らしている、持ち物は少なくても、守るものがある、だからわたしは、しずかに満たされている、もうすこししたら、また詩を書いていきたいと

          twitter

          Twitterを急にやめてから、心配をしてくれたり、だれだかわからないけれど、ここを見にきてくれる人たちもいて、わたしはこうして生きています、ひどい人からいきなり理不尽な攻撃をうけて、一旦Twitterをやめるしかなかった、いろいろ事情があるけれど守ってくれるひとがいるのでだいじょうぶです、たくさん非礼をしてしまいごめんなさい、お世話になった人にお手紙を書いたりもしたけれど、まだ郵送することができていない、連絡をしたいと思う人もいたけれど、できなかった、わたしには筆舌に尽くし

          全知全能の人

          むかし、一緒に住んでいた人が全知全能になった。その人はとても頭のよい人で、もともと考え込むのがすきだった。長く考え込むことがよくあったけれど、そういうものだと思ってあんまり気にしなかった。ある時思索が一ヶ月以続いて、気がついたら殆ど寝ていなかった。それでも仕事にも出ていたし、寝ない以外は普通にみえた。 ある日突然、全知全能になった。 それはほんとうによくあるただの発狂というもので、境目を急に越えてしまった。それからは完全に狂気の人になって、その人の前には宇宙とか神とかがあっ

          全知全能の人

          あたらしいなまえを呼ぶ

          数年前に専門学校に通っていた。基本的には通信教育なのだけれど、ときどきスクーリングの授業があった。 わたしはその頃から、人が苦手だった。うしろの方の机に一人で座って、休憩時間は音楽を聴いているのが好きだった。気難しい顔をしていて、話しかけないでくださいというように見えていたと思う。 いつの間にか、ひとりの男の子がクラスの中心的な存在になっていた。誰にでも笑顔で明るくて、授業中もみんなに気を配っていて、わたしはそういう人がもっとも苦手だった。 ある日いつものように一人で音楽

          あたらしいなまえを呼ぶ

          よろよろのおじいさん

          ある日、道端でおじいさんをみつけた。おじいさんは歩けなくなって座りこんでいて、とても疲れた顔をしていた。抱えているビニール袋の中に牛乳がたくさん入っているのがみえて、きっとやさしい人なのだろう、なんだか無性にそう思った。それからわたしは「大丈夫ですか?」と声をかけて、家まで送ることにした。 だいぶ歳をとっていて、歩くのが大変そうだった。すこし歩いては「疲れた」と言って休んだ。 途中に公園があって、わたしたちはベンチにならんで座った。おじいさんは90歳で病気のおばあさんと二人

          よろよろのおじいさん