愛情についてちゃんと理解していなかった頃の話
私は、与える・相手のことを知る、というタイプの愛情をよく理解できていない。
誰かを好きになると「私を理解したいと思ってほしい」という感情が暴走してしまうのである。
今の恋人のおかげでそれはかなり緩和されたが、まだ根の部分は残っている。
16歳のときと23歳のとき、それを恋愛と呼ぶにはあまりにも歪過ぎることをした。
▽16歳、あれは本当の意味の初恋だったのだろうか
高校生になり、それまでの狭すぎる世界から脱出した。
他の市から来ている子たちは今まで会ったことがないような個性を持っていた。
その中で一人、同じ委員会に入った子がいた。
切り込まれたような深い二重瞼が印象的だった。
目が離せないと思ったときにはもう遅かった。
色々な引き出しを開いて話をする彼に、あっという間に心を捕まれてしまった。
それまでは「好き」と言ってきたり、そのような素振りを見せたりしてくる子しか好きになったことはなかった。
彼は生まれて初めて自分から好きになった人だった。
彼に対して恋心を募らせていくと同時に、激しい嫉妬心を憶えた。
彼の世界は私の知らないものばかりだった。
知らないルールのスポーツをしている、知らない街で生まれ育って生活している、知らない人生を歩んできている。
私は掛け持ちして入っているもう一つの委員会に傾倒していくようになった。そこは先輩後輩の関係なく仲が良く、アイスを食べに行ったり花火をしたりすることも多かった。
中学生のときに友達が殆どおらず、そういうことが出来る子達をずっと羨んでいたので、余計に拗らせてしまったのだと思う。
彼と話をするときに彼の知らない単語を使ったり、通じるはずもないもう一つの委員会での内輪話を織り混ぜたりした。
「なんて面白い世界に生きている人なんだ、ああ悔しい、もっと知りたい」と思ってもらえると思っていた。
現実にはそんなことはなく「主語述語がなくて何を言っているかわからない」と言われる回数が増えていった。
高校が電車通学だったので携帯を買ってもらえ、彼のメールアドレスも口実をつけて交換してもらった。
その頃はまだチェーンメールが流行っており、自分の他に一斉送信された宛先のメールアドレスを見ることができた。
知らない宛先でも、男女が推定できるメールアドレスが多かった。
私はそれを見て次の作戦を思いついた。
彼に一斉送信メールを送るのである。
さすがに委員会の先輩にチェーンメールを送るわけにはいかないので、文化祭の準備の相談をでっち上げた。
一斉送信は彼の他に、男に見えるメールアドレスを並べた。
kenta(仮名)やbeatなどが入っているもののほか、女でもblackが入っていたものは採用した。
全員が男だと不自然かなと思い、一人だけjewelを採用した。
「男の知り合いが多い、不安だ」と思ってもらえると思っていた。
現実には一斉送信の宛先なんて彼じゃなくてもいちいち見ない人が殆どであるのに加え、その頃は話だけではなくメールの内容まで支離滅裂になっていて返信をもらえないことも増えていたので、その時もまた返信が来ることはなかった。
文化祭の夜、私は彼に告白した。
もちろんバッサリと振られた。
冷淡に断った彼に何度も詰め寄った。
なぜ心を通わせてくれないの。断るにしてもなぜもっと向き合ってくれないの。問いかけをしている側に対して過不足なく答える義務があるじゃない。
実際にはそんなに言葉が出て来ずに「なんで?理由を最後まで言って」ぐらいのことしか言っていなかったと思う。
愛情を持つことができない相手にそこまでする必要がないのは今となっては痛いほど分かるが、とにかくその時は自分の身に起きたあらゆることが理解できず、あまりにも呆気ない結末を迎えることになった。
▽23歳、寂しさが紛れればそれでよいという恋愛は駄目だ
以前書いた「32歳腐女子側だった頃の話」でも少し触れたが、私は23歳の頃Twitter恋愛をしていた。
それまでは2人目の「自分から好きになった人」に片想いしていたのだが、当時は無職だったので引け目を感じて次第に連絡が取りにくくなっていった。
その頃に現実逃避として二次元のキャラクターになりきって甘い言葉を吐いてくれるアカウントを複数フォローし、そのうちの一人と交際に発展した。
(Twitter恋愛には様々な形があるが、私達の場合は文字だけで遣り取りした。スキンシップは「ぎゅう」「撫で撫で」などを打ち込む、いわゆる「ロル回し」を使った。互いに本名も顔も知らないままだった。)
今まで経験したことがないぐらい愛の言葉を贈られ、私はすっかり舞い上がっていった。
そこでも悪い癖が出てしまい、読んだ本のツイートばかりするようになった。
またも「あなたのことをもっと知りたい」と思ってもらいたくなってしまったのである。
しかし、「暇だー」というツイートには秒で反応してくれる彼は、その類のツイートには全く反応してくれなかった。
痺れを切らして彼との遣り取りのときに話を出してみたが、そこで返信を切られるか話題を変えるための見当違いな返信が来るかのどちらかだった。
そして交際から1か月経った頃、私がアイコンとして使用していた女の子のイラストがフリーのものではないことに気付き、別なものに変えた。
それと同時に彼がTwitterに来ることが減った。
「寂しいけど忙しいのだろう」と呑気に思っていたが、きっと彼は「その女の子のイラスト」を動かしていた私を好きだっただけであり、違うイラストになって急速に興味が失くなっていったのだろう。
それだけではなく、彼は愛の言葉を囁き合えるだけでよかったのに余計なことばかり話す私が鬱陶しくなったのかもしれない。
しかし彼は優柔不断だったのか、私が呼べば来てくれた。
他に拠り所がない私は長い間彼にすがり続けた。
仮初めを本物と自分に言い聞かせて寂しさを紛らわせていた。
私もまた、利用しているというのは同じだった。
私が就職してしばらく経ち、ようやく決心がついてアカウントを削除してこの恋愛ごっこは終わった。
この歪な「恋愛じゃない何か」を繰り返し、私は人間になっていくのだろうか。
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