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コンテンツと現実の残酷なまでの乖離の話

(あるいは、”「アゲハ蝶」の世界をどうしようもなく羨んでいた12歳の頃の話”の続編)

ステイホームが長期化して昔読んだ漫画をKindleで買い直すことが増えた。

その中で、当時そのギャップに胸がつぶれそうになったものに行き当たった。
それはなんてことはない、中学生が放課後に制服姿でアイスを買い食いするシーンだった。

私の通っていた中学校は田舎であることと荒れていたこととがあって、校則がとても厳しかった。
現金なんて持ってこられないし寄り道だって先生が巡回しているからできないし、ましてやスカートを膝上にすることなど絶対にできない。もっと言うと、午後になったらジャージに着替えなければならないという謎の決まりがあった。
もしかしたらこっそり小銭を持ってきて上手いこと放課後に遊んでいた子もいたのかもしれないが、私は到底そんな勇気はなかった。

おそらくそんな環境では物語が進まないからそういった縛りを割愛していたのだろう。
そう、私が過ごしていた世界には物語なんてものはなかった。

その頃の私は妄想が拠り所となっていた。
芸能人に恋愛感情を抱いていて、物語のない世界に生きている今の私が惨めで仕方なく、頭の中で理想の自分を描いていた。
私は髪を染め、伸ばし、しかも束ねていない。
お酒が飲める年齢である。国家資格も持っている。作詞作曲の才能もあり、ドラマの主役も務める。
なんだってできた。

やがて中学3年生になり、進学コースがある塾に電車で通い始めた。
地元にはなかった「進学コース」という概念、教科書通りではないテクニカルな解法、都会(田舎県の県庁所在地)の中学生たちの「さっきまでサイゼで勉強してた」という発言。
何もかもが格好いいと思った。
私はここにいれば、妄想をする必要がないと思った。

そんな狭く狭い世界に、私は何年も縛られることになる。


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