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膨大な記憶が浮遊中。

久々の、何の予定もない休日を過ごしています。

最近行き場のない学習欲が湧いていたので、何の役にも立たなそうな山川倫理一問一答を解いていたんだが、めちゃくちゃ集中するしやっぱり楽しいな。

こんな毎日を送りたいぜ。

わたくしは学生時代、わりかし勉強が好きなほうだったんだが、なにせ飽き性でコツコツ積み重ね型なタイプではなかったもんで、テスト前とか受験前とかにガーーーーーーッとやって終わった瞬間にポーーーーーーーンだったもんで、長期記憶がたいがいにしてからっぽなのです。

社会人になってからも、興味を持ったテーマの本を読んではポーン、読んではポーンなもんで、他人に何かについて語れと言われたら、何も語れるものがない。

ただ、何かについて考えるとき、何か関係がありそうなものが色々浮かんできたりする。や、浮かぶまで行かない。

「何かこれに関連するものについて私は学んだことがあるな、そんでそれについて関連するものに関連するものもどっかで聞いた気がするな。そんでそれとそれの関連と同じような関連の仕方をしているなんかの概念もまたどっかでインプットした気がすんな。ただ何一つとして単語も分野も顕在意識に上がってこない」

こんな次第です。

これだけ生きてきたのだから、否が応でも膨大な知識が頭に一度はインプットされているのです。生き物というのは死なないために体が勝手に学習してしまう。

ただそれを反復しない限り、表立っては出てこないから、他人にも見えないし、自分でもそのほとんどが認識できない。

ただ、いる。

いる、ということだけは認識できる。

「何か」を見た時に、自分の頭の中で、水面下にいたやつらが出てこようとするのを感じる。
ただそやつらを引っ張り出すことがまだできていないから「あ、なんかいた気がするな」で終わっちゃう。

その「なんか出てこようとするやつら」が、今までは断片的だったけど、最近はその量が増えてる…ような気がする。

増えてる、というよりは、水底にいたやつらが、人生の中でちょっとずつ、全体的に上に押し上げられていって、やっとそれがちょっとずつ顔を出してきそうな、そういう雰囲気が自分の脳内で見受けられるのです。

今までやったことのない、まだまだやりたいことがいっぱいあるんだけど、そんなことを言っていたらまたいろんな素材を増やして、膨大な記憶が浮かび上がってくる前に人生が終わっちゃいそうな気がしてるので、最近は、自分の中にあるものを水面上に押し上げていくタイミングなのかなと思っている。

もっとなんか、自分の密度が濃くなるような気がしている。





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