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Naked Soul

 

彼の優しさは、今までにあじわったことの無いものだった。
 
私達は、少しだけ広いベランダに、リヴィングからイスをひとつずつ移して、夜明けを過ごした。

 
羊は、不安定な朝焼けの光を受けて、眼を伏せていた。
眩しい白い光は、私の睫毛を七色に透かして、羊の顔にくっきりとした美しい陰影を創った。
 
まるで名も知らない広大な砂漠にできる不思議な模様の様な陰影だった。

 
確かに眩しかったけれど、遠くで広がりゆく青い立ち上がりの澄んだ様にみとれ、私達は静かに座ったまま、夜明けを眺めつづけた。
そして何も言わず完全に激しい光が過ぎる前に、再び私達はイスを片づけた。
 
 

朝が来ようとすると、私達は隙間なくブラインドをしめ、部屋を真っ暗にして、ひっそりとベッドの中に入った。
 
 
私達は毎日同じベッドに入った。セックスはしなかった。
 
やがて淡く蒼ざめた、息絶えた様に、真っ白な顔で、羊は眠りに落ちてゆく。
 
私は何処かで神様が、まるで羊の様に、美しくおおきな手をそっと振って、そっと永く引延ばしてくれた様な、澄んだ色を湛えた夜を、深く、静かな隣のねいきを聴きながら、傍で眺めていた。
 
 
羊は本当に静かで、時々思いつめた様に抱きしめられたりしたが、そういう時は、私もしっかりと彼の胸らへんに顔を寄せて、ひんやりとした彼の服の感覚を感じていた。
 
 
何かの手違いで、私は彼の着替え途中の姿や、自分の半裸を、視たり、視られたりもした。
 
そういう時、私も羊も、そっと互いの距離を保った。
 
それは親密な距離だった。品の良い彼の対応を眼にする度、何となく、ほっとした。
自分が過ごしていた中で、様々な隠された処から滲み出る、欲望がいつも、それが自分に向けられたものでは無かったとしても、絶えず漂っていたことが、酷く身体を疲れさせていた事に気がついた。
 

 
羊は、まるで水の様だった。
様々な不純物を含んだ上で、それでも澄み切った水の様だった。
 
 
 
明け方から時刻がまた夕方ごろに戻るまで、羊はずっと眠り続けた。
 
羊はこちらが大きな物音を立てなければ、静かな、安らかなねいきを立てたまま、死んだように眠り続けた。密やかに垂れる柳の枝葉の様に、柔らかなまぶたを閉じながら。
 
 
それでも時々、急に眼に涙が溜まって、声を押し殺しながら泣いていると、肩や身体の微妙な揺れが伝わったのか、羊はそっと私の片手を手に取った。眼は瞑ったまま。
 
その空間の持つ寡黙さが極まるように、清らかな様で。
 
そんな彼の動作に安心すると、泣きが激しくなる時があった。
申し訳ない、と思うが、止まらなくなる。そうすると、彼はゆっくり起き上がって、少し開けたブラインドからの薄光に、ちらちらと光るグラスに、なみなみと水を汲んできてくれた。
 
しゃっくりのあがる喉を抑えて、それを半分飲むと、残った半分を、静かに彼が飲みほした。
 
その、美しいラインを描く咽をくっきりと思いだす事ができる。
 
柔らかく頬に掛かった髪は黒く、瞳はいつもよりとても穏やかで、睫毛が緩やかなカーヴを描いていた。
 
顔色は変わらす、ぞっとするほどの白で、上にあげたあごは品が良く、美しい雲の先端の様に完璧な形でそこにあった。

 
私が何か言おうとすると、そっと笑みを浮かべたままで、眼を伏せて、優しく伸ばした腕は、軽く背中を叩いた。私の背中には、とても良い感覚だけが、そのまま、淡く残っていた。
 
 
それは、今まで過ごしたことが無いくらい、穏やかな日々だった。
 
 
「時々」彼は私に、呟く様に言った。「カイリがいなくなってしまうんじゃないかと思うんだ」
 
私は黙っている。そういう時、彼は酷く疲れた顔をしている。
 
何もかも、抜き取られてしまった様な。踊りの終わった、祭りの様な。そういう時、
私はそっと、彼の手を取った。
 
そうすると、彼はゆっくりとその瞳を閉じ、私の肩に頭を乗せた。
 時々はそのまま、泣いたりもした。ここは、「泣く」という事が、許された場所だった。
 
 そういうことの繰り返しだった。
 
私は毎日が好きで、ものごとは変わり続け、どんどん良い方向に向かってゆくように思えた。
 
幸福だった。











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