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それぞれのしあわせ

しあわせを語ることは難しい。しあわせをテーマに友人と語ったら、一日はあっという間に終わるだろう。それほど重みがあって複雑だ。
今日は私が考える「しあわせ」の一部分について書く。

しあわせ

これは人によってちがう。

以前、高校の友人から「恋人からいくらぐらいのプレゼントをもらっているか」と聞かれた。大体1万円以内と答えると友人はあまり納得していない様子。どうやら友人の周りでは2万円~3万円が普通らしい。「5万の人もいる。」と聞いたときには住む世界が違うと感じた。
そのような人もいる、という紹介で会話が終わっていたら私は疑問を抱かなかっただろう。
しかし―――

「1万円以内は大学4年生(の場合)だとちょっと少ないかもなぁ。」

と友人は言った。これには驚いた。なぜそこまで金額に固執するのだろうか。もちろん値段を気にすることを否定しているわけではない。むしろ気にすることも必要だと考えている。
だが「プレゼントの金額=満足(しあわせ)」という考えに偏りすぎではないだろうか?と思ってしまった。

しかし私が相手に似合うことに重点を置いてプレゼントを選ぶ代わりに、友人は金額に重点を置いてプレゼントを選んでいる、ただそれだけの違いだと思うと納得がいった。これがきっかけで、自分がしあわせと思うことが他の人にとってもしあわせなことであるとは限らないと気づいた。

そして「しあわせは人によってちがう」ということをさらに考えるきっかけとなったのが一番下の妹だ。

妹はダウン症で、言葉がほとんど話せない。(話せる言葉は、パパ、ママ、痛い、バツ、バーイの6単語ぐらい)
言葉は自分の意思を示すもの。つまり使える言葉が制限されている妹の意思を完全にくみ取れる人はいないということだ。何かを訴えていても両親や私が理解できず、妹は諦めた表情をする。

また、危ないからという理由で一人で遊びへ行くことも難しい。
私と比べてハードな人生。勝手にそう思った。

だが違った。
妹の、音楽に合わせてノリノリで身体を揺らす姿、『ちびまる子ちゃん』をみてワハッと笑う姿、大好物のミートソーススパゲティをものすごい勢いで食べる姿、思い返すと妹は間違いなくしあわせだ。

みんなそれぞれのしあわせを持っている。
そして自分のしあわせを持つことがなによりも大切だと分かった。
私にとってのしあわせは、自分を叱ってくれる人がいることだ。

【今日の好きなことば】「言葉が柔らかくて」(友人のコメントより)

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