プラネタリウム

母とプラネタリウムへ行って来た。
小学生くらいの頃行ったような気がするけど、
定かではない。父が居たような気がしてるけど
それも定かではない。場所も何もかもハッキリとは覚えて居ない。ぼんやり覚えているのは、グレーの世界、動いてないのに体が斜めになった感じがした事、
あとはほとんど覚えてない。
中心商店街に移設された図書館に、プラネタリウムが出来たらしい、いつか行きたい。
そう話していたのを思い出し、私の月一の病院の日のスケジュール見てみたら、夕方の回があるのがわかったので、診察時間をずらして貰い、待ち合わせて行った。父の時ほどではなかったけど、やはり特別な事をすると、これが最後になるんじゃないか、来なかったらまだ生きててたんじゃないかって思う日がくるんじゃないかという気持ちはどうしても過ぎる。
席に着き始まったらもう私はひっそりと涙を流していた。解説員さんの優しい声、切ない音楽、映し出される星空は、美しいとかより、命の限りを見せつけられているようで、どちらが先かわからないけど、いつか来る 居なくなる日 去る日そのことばかりが頭の中を埋め尽くした。解説員さんが空の時間を戻した。
父のいた日に戻して欲しいと思いながらみていた。  

時節柄プラネタリウムの内容は七夕と天の川
星々の写真は美しく、七夕のストーリーも突っ込みたい衝動を抑えるのが必死だったが、全てに於いて共通しているのは 『諸説あry……』
着物を織るっておかしくないか!?
機織りとか反物を織るならわかるよ、
着物を織るて。着物の形に仕上がるん?
それはもはや編み機では?
めっちゃいいたかったけど我慢した。
私が間違えてる事の方が多いからな。
それにどうでも良かったし。
ただ一つ驚いたのは、私の地方では
雨だと会えないと習ってきたが、
実は雨でも会えている。
これは驚きの新事実(個人的に)
諸説の感じで、雨で天の川の水かさが増して月のふねが出せなくなっても、
鵲という鳥が集まって橋を作っておりひめはそれを渡って逢いに行けるのだとか。
『逢えるんかい‼︎』一番我慢した。
七夕の歌を聴いてみましょう
浮かぶ笹の映像歌詞に合わせ途中から短冊が…
もう花札しか思い浮かばないよね。
心が汚れきってるから仕方ないね。
逆に母はまるで少女のように感動した!を連発。
来て良かった?と訊くと、嬉しそうに、
『うん、昔と全然違う!凄い、感動した〜』
『時代がちがうからねー。』←(冷奴
まさか一年中これではあるまいと思って今後のプログラムをもらい、内容が変わる日をチェック。
行けたら行こうな。何回でも。
父のおかげで少しだけ 強くなれたよ。
まだたまに会いたくて泣くけど、仕方ないよね。
声聞きたくて何か言って欲しくて
写真の前で泣くけど、最近は夢にも出てくれないね
覚えてないだけかな。
今頃スルメイカの赤ちゃんなのかな。
まだオカン呼びにこないでね。

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