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ー安楽死を宣告された猫との35日間ー  25日目

BAKENEKO DIARY /DAY 25. ロンの“膝ハグ”

 事故に遭って以来、初めてひとり(一匹)で、ほぼ一日、留守番をしたミータ。結果から言うと、難なくクリア! と言っても、野良猫出身で決して人にベタベタしない猫なので、ひとりが嫌なわけはないのだが。食道チューブを付けていると、チューブがどこかに引っかかったりしないか、お腹が空いても食べられないし、など心配事が多く長時間の外出はためらっていた。やはりチューブを外してご飯を自分で食べてくれると、世話をする人間の開放感もずいぶん違うなと感じた。
 
 子どもの頃、犬を飼っていた。ロンという名前だった。父親がどこかからもらってきた雑種犬で、くせ毛でブサイクで、ちっともかわいくなかった。家の横が原っぱになっていたので、夕ご飯を食べると、その原っぱで放してやる。すると狂ったように走り回り、しばらくすると低い塀に腰掛けて待っている私の側にきて、膝に上半身だけどんとのせて休んだ(抱っこできるサイズではなかった)。高校生の頃、青春時代特有の悩みでしょっちゅう落ち込んでいた私は、ロンが膝にのってじーっとしている時間にとても癒やされた。夜空を見ながら、ロンと一緒にぼーっとする。その時間がなければ、私はあの頃をどうやってやり過ごしたのかな、と思うくらいだ。

 それなのに。大学生になって、バイトや遊びに明け暮れるようになった私は、ロンのことを全く気にかけないようになった。世話は母親まかせ。妹も同じような状態だったと思う。そして私がバイトしている時、母からバイト先に電話がかかってきた。

「ロンが死んだ。」

 どういうショックだったかわからない。母が、ロンがあまり食べない、元気がないと言っていた気はする。でも私は聞き流していた。ロンが死んだこと、ロンの体調に気が付いてあげられなかったこと、ロンのことがすっかり関心の外になっていたこと。高校時代の私を支えたのはロンの”膝ハグ“だったのに。頭を殴られたようなショックだった。

 そして時間が過ぎて、私はまたロンのことを忘れた。子犬時代の写真だけは捨てられずに飾ってあったが、ミータを飼い始めてからも、特にロンのことを思い出すことはなかった。
 
 ミータが事故に遭って生死の境をさまよい、安楽死ではなく治療を選択して、これからどうなっていくのか不安だったとき、私はロンのことを思い出した。ロンの時のような後悔はしたくない、という気持ちではなかった。私は「ロン、お願い。ミータを助けて」とまたロンに頼った。

 ミータが回復してきて、改めてロンの膝ハグを思い出す。10代半ばの私を救ってくれた、あの温もり。そして、死の間際にいたはずなのに、ロンに目を向けようとしなかった10代後半の私。ミータがひとりで留守番もできるようになり、開放感を感じている今の私。本当に自分勝手だなと思う。

ごめんね、ロン。ミータとは必ず最期までしっかりと向き合う。ロンにできるお返しは、それだけだ。

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