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決して大きくないDJパーティを6年続けるということ

アニメソングDJイベント「げんちょうけん」というパーティーがあります。
そうです、私が主催しているイベントです。
2013年にスタートしかれこれ6年。
先日には6周年のパーティもさせていただき
沢山の方に来ていただくことができました。
多謝!!!!

はっきり言って「げんちょうけん」決して大きなイベントではありません。
小さなイベントでもありませんが、中規模ぐらい?
そこそこの大きさのイベント。
そんなイベントも気がつけば6年間。
同期イベントも気がつけばどんどん終了し
一緒にDJを始めた仲間達も引退したりとか…。

僕自身にだって6年あれば色んなことがありましたよ。
26歳彼女無しだった僕も
嫁と出会い、付き合い、結婚しました。
二度会社を辞めました(多すぎると思うけど)。
6年という月日は人生が変化するには十分すぎる時間でした。

さてさて。
今回はそんな6年間で起こったイベントのあれこれを振り返ってみようかな、と思う次第です。
これはあくまで僕の身に降り掛かったことだけど
タイミングは違えど他のイベントでも同じことは起きているように感じています。
それを契機にイベントが終わったりだとかも見て来たと思います。
もしオーガナイズをしている方がこれを読んでいたら
ちょっと参考にしてくれるといいかな、なんて思っています。

「げんちょうけん」の起こり

今でこそ「げんちょうけん」は
「アンセムからレアグルーヴまで」
だとか
「他で聴けない曲がここでなら」
だとか
選曲が(やや)尖っていることを売りにしていますが
もともとはそういうことを目指してスタートしたイベントではありませんでした。

僕自身、生まれも育ちも池袋(近辺)。
当時から都内各地でアニソンDJイベントが開催されていましたが
池袋にはパーティーがない!!
こんなにヲタクカルチャーへの親和性が高い池袋で
アニソンのDJパーティがないなんておかしい!!
なんてことを思って始めました。
(あったのに僕が把握してなかったことに気付いたのは少し先の話ですが…)

残念ながら当時の僕にはDJの知り合いなんて一人もおらず
それでもどうしても開催をしたかった僕は
その頃、同窓会を機につるみ始めた同級生数名を誘い
DJを教えて、半年がかりでスタートまでこぎ着けたのが当時のげんちょうけんでした。

クラブの借り方もライブハウスの借り方も分からなかった僕は
ライブハウスからダンスの練習場、演劇場まであっちもこっちも見学に行き
あっちでやっては失敗、こっちでやっては失敗を繰り返して
恐らく一年ぐらいかけて辿り着いたのが今の会場
「池袋バナナボンゴ」だったわけです。

池袋バナナボンゴで再スタートした「げんちょうけん」

はてさて、本当にバナナボンゴに移ったのが開始一年後だったのかはかなり曖昧な記憶ですが…。
ともあれ新天地で再スタートを切ったげんちょうけん。
当時のバナナボンゴ、開催されていたパーティは一本だけ。
そのパーティもアニソンのパーティではなく
(今で言うところのオールジャンルだったと思う)
それもちょうど最終回を迎えたとことろでした。
だから当時は
「バナナボンゴ唯一のパーティ!!」
「バナナボンゴ初のアニソンイベント!!」
なんて触れ込みだったと思います。
僕等は当時の店長と結託して週末の空き時間をもらってDJさせてもらい
「DJって面白いでしょ!!げんちょうけんに来てよ!!」
なんてことを言いながら少しずつお客さんを増やしていきました。
そんなことをしているうちに少しずつお客さんが増えて来た。
そこに至までに二年とか経ってたと思います。
スタートダッシュの遅いイベント…。
まぁ「初めての会場」で「そこいらの一般人」がイベント始めたら
それぐらいはかかるよ…多分…。

外に!!外に!!!!

「バナナボンゴのお客さんだけじゃ頭打ちだ!もっと外から人を呼ばなきゃ!」
そう思い始めたのはいつ頃だったか…。
もしかしたらバナナボンゴに移るより前だったかもですが…。
ともあれ、なんとか新しいお客さんを呼び込みたかった僕等は
片っ端から外の会場に出向くようになりました。
これまでに行ったことのない会場に行き
これまでに会ったことない人と話をする。

「アニソンDJ 募集」やら「アニソンDJ 公募」やら…。
とにかく思いつく限りの検索ワードをgoogle(yahooだったかも)に入力して検索!
ヒットしたところにMIXを送ったり、挨拶に行ったり、DJやらせてもらったり。
エネルギッシュだったなぁ。
DJ練習会なんかも山ほど参加させてもらって
そこで出逢った人と一緒にイベントやったり
お金を持ち逃げされたり…。
とにかく色んなことをやって繋がりを築いて
少しずつイベントは大きくなっていきました。

少しずつ「認知」され始めた感触

そうやってあちこち動き回っているうちに
少しずつだけど「アニソンDJの大先輩方に認知されている」という実感が出てきました。
インパクトもあったんだと思います。
何せ当時の僕等は「バナナボンゴ唯一のイベント」ぐらいの感じでしたから。
「おっ!?何やら聞いたことない会場で聞いたことのないイベントが幅を利かせてるな!」
「あいつら何もんだ!!偵察にいこう!!」
ぐらいの認知をされていた気が…。
なので何の前触れもなく先輩DJさんが突如現れたり…。

もうあれですよ。
「ああああああああ!!!!!!先日○○にてプレイされているところ、会場で聴かせていただいておりましたぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
みたいな。
そんな先輩達が「頑張れ!」って言いながらシャンパン手渡してくれたり。
そうやって少しずつ輪は外に広がり、多くのDJさんと交流ができ始めたりしたわけです。

同期イベントができはじめた

そうこうしているうちに、所謂同期イベントみたいなものができ始めました。
ただ同じぐらいに始まった、というわけじゃなくて。
規模感が一緒だったり、目指しているものが近かったり。
そんなイベント同士で「一緒に頑張ろうな!!」みたいになって
お互いのイベントを行き来したり
合同イベントをやったり。
6イベント合同で「Young Blood Carnival」ってイベントやったりしましたね。
イベント名厨二丸出しで書きながら涙出たよ…。
若いってこわっ…(多分この頃28歳とか)

自分たちのイベントの立ち位置が今更見えて来た

そうやって少しずつ同期イベントが出始め
お互いに「お前んとこのイベントってさ」
なんて話をするようになると
今更になって「自分達のイベントらしさ」
みたいなのが見えて来た感じが…。
いや、普通先にそういうの決めてから始めるべきな気もするんだけど…。

周りのイベントからなんとなく
「げんちょうけんってさ、選曲がマニアックよりだよね」
など言われるようになり
お客さんからも
「げんちょうけん、攻めた選曲の時の方が楽しいんだよね」
なんて言われるようになり
「もしかして…ウチってマニアックな選曲のイベントなの…」
なーんて、なっ!!
その頃からげんちょうけんは意識して
「アンセムからレアグルーヴまで」
なんて言うようになった気がします。

新しい出会い、そして別れ

三周年を終えたぐらい(かな…よく覚えてないけど…)
DJとして一段ギアが上がった実感が出てきました。
多分、自分の得意が見えて来たからだと思うんだけど
先輩達にフックアップしていただくことが格段に増えた時期だったように記憶しています。
自分の得意が見えているからこそ
「特化した何か」を持っているイベントからはすごく重宝していただいて。
逆にイベントにゲストで出ていただいたりとか。
どんどんと輪は広がり
名前を知った人が試しに、という流れで遊びに来てくれるようになりました。

しかしながらこの頃でイベント初めて3年とか(正確な記憶じゃないけど)。
最初期のメンバーから少しずつ入れ替えが起こり始めます。
そりゃそうだ、三年もすれば皆生活も変わる。
三年もDJやってれば見えている景色も違ってくる。
「仕事が忙しくてDJどころじゃない」
「俺はもっとこじんまりとしたところでやっていければ十分だった」
「これ以上イベント大きくするのは…」
なんて意見もチラホラ…。
一緒にイベントをやっていた仲間が少しずつ離れていき
イベントとして次の段階を考えなければ行けないところに至った気がしていました。

変化の時期、げんちょうけんも、周りも

ちょうどレギュラーが入れ替わりつつある頃
自分の周りの環境も変化し始めた感じがし始めました。
何というか、げんちょうけんのレギュラーが去っていくのと同時に
他のイベントのレギュラーも卒業がチラホラ。
新規イベントが乱立し始め
新しくデビューしたDJさんが次々に現れました。
なんかいきなり後輩的なポジションの人とか出てきて
「えっ…?えっっ……??」
ってなったりしてたなぁ、この頃。

「これは…(ゴクリ)」
そう、所謂新陳代謝ってやつです。
数年に一度、それはやってくるイメージ。
オーガナイザー的には最も戦々恐々とする時期ですよ。
それなりの数のイベントがこの頃最終回を迎え
「気がつけばあいつもあいつもあいつもあいつもあいつもいなくなって」って感じでした。
(I-rep Krevaバースより)

あと、この新陳代謝でもう一つ起こったのは
お客さんが演者側にまわった、というのもありました。
この間までお客さんで来ていた人から
「DJ始めたんで聴きに来てください!!」
とか言われたり。
嬉しいやら、寂しいやら、的な。

そんな新陳代謝期も何のそのだった

そんな新陳代謝の時期でもげんちょうけんは至って元気でした。
ここには大きく二つの「対策」がありました。
これに対してそれなりにアンテナを張れて予想ができていたのも大きいんですがね。

まず一つ。
あまり規模感を大きくしなかったこと。
これはあんまりかっこいい話ではないんだけども…。
げんちょうけん自信
「正直ちょっとバナナボンゴは手狭かなー」
なんて思っていた時もありました。
しかしながら
なんとなくこの後、人の入れ替えが起こって暫く集客が安定しなさそうだな
という予感は僕の中にありました。
なので「ここ暫くは意地でも移動しない」という判断。
ちょうどこの頃、同期イベントが次々に大きな会場に進出している時期でもあり
ぶっちゃけ「羨まし!!妬ましい!!」とか思ってましたけどね…。
でもここは動かなくて正解でした。
移動して即終わったイベントもチラホラあったわね…。

もう一つ。
新レギュラーが次々に入ったこと。
そして新レギュラーの人選が上手くはまったこと。
これは正直大きかった。
もちろん技術が高く、気の合いそうな人を選ぶのだけれど
新レギュラーを選ぶにあたって
「僕等とは違う人とのつながりがある人」
というのも視点に入れていた。
それが功を奏して、ここでまた新しい人とのつながりもできた。
ありがたいことで…。

安定期、そして新しい課題

暫く安定した状態が続いた。
ここに至るまで4年とか。
4年経って安定するイベントとかあるんか!!
って思いません?
改めてデータをまとめて僕は思いましたよ。

ちょうどこの頃げんちょうけんレギュラーも外からのオファーが増えて来て
やっと大舞台に立たせていただいたりもしました。
と、そこで大きな問題が起こっていることに気付いたり…。

新しい課題、そしてエーガレが始まった

僕等が当時直面した問題、それは「後続のDJさんがいない」ということ。
これは池袋という場所柄というか、なんというか…。
いかんせん当時はイベント数こそそこそこあれど
近辺にも会場は山ほどあったために
同じ会場で根を張ってやっていく感じのイベントがあまりありませんでした。
他所でイベントをやっている人が単発出張版やったり
少しやってそのまま去っていくイベントが多かったり。

これ、関係なさそうで実はそこそこ大きな問題で…。
というのも、イベントの集客ってウチ何割かは会場自体の集客。
「げんちょうけんのことは知らんけどバナナボンゴはよく行くから行ってみるかー」
なんて人は確実に一定数いるんです。
にも関わらず、会場に根を張っているDJさんが少ないとなると
将来的にお客さんが減るのが見えているようなもんで。
一種の死の宣告です…マジで…マジで…。

そこで始めたのが「エーガレ」という新人発掘を目的にしたDJ練習会。
今でこそDJ練習会なんて山ほどあるんだけど
当時は割と珍しく、公開すれば即日一月分の予約が埋まる大盛況練習会でした。
おかげさまで僕も若手DJさんとかなり交流を持つことができ
ありがたい限りでした。
そこでの繫がりから出来上がったイベントもあったし
そこでの出会いからできた交流もあったと思うんですよ。
時々それは褒めてほしいな、と今でも思ってます!!褒めて!!!

そして新しい課題、今目の前にあるもの

そんなこんなで色々な課題が見えては手を打つ。
そうやってげんちょうけんは6年の月日を過ごしてきました。
ただただのんべんだらりとは続けていけない6年間。
結構あれこれやってるでしょ?

それでもこの長い月日の中で、それは常に見え隠れして来た課題。
そして、まだ未着手で、次の手が打てていない課題。
それがレギュラーDJの生活の変化。
最初にも書きましたが、僕は6年の間に結婚と二度の退職をしました。
あるメンバーは学生の時に加入して今では立派な社畜です。
またあるメンバーは会社での地位が上がり残業時間が増えました。
あと、皆昔より年を取って体力も落ちました、恥ずかしながら。

それでも僕達は、6年続いたげんちょうけんを、次のステージに持っていきたいと思っています。
そのために僕等は何をやるのか。
興味があったら少し注目しててください。

to be continue…。

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