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オーバーオールの話。

日曜日の午前様のベランダにて、たいしたコトのない Dickiesのオーバーオールだけど、なぜか愛着があって、破れた箇所をチクチク手縫いで補修。
普段は老眼で、針の穴に糸さえ入らないのに、陽光の下ではなんなく糸通しも労せず、調子良くジーンズ生地であて布して縫っていく。
あらかた終えて、ベランダで糸くずを払おうと、パンパンとしたら、チャリーンと吊りカン(今回初めて知ったが肩ひもの金具をこう呼ぶ)が抜き落ちて外へと落ちてしまう。
家は三階である。
あーあやっちゃったと、ベランダ下の駐輪場まで金具を探しに行くが、どうしても見つからない。
オーバーオールは仕上がったのに、金具が無いから着れない、とても不愉快だ、地団駄を踏む。
こうなったら、吊りカン探しの旅だ、と近所の洋裁店をみて回ったが、小さなサイズならあるが、どうもこれに合うサイズの品が見つからないので、amazonでちゃちゃっと検索すると、すぐヒット、プライム会員で送料タダ、しかも明日に届く、やはりネットは便利ではあった。
今日は諦め、洗濯でもして、明日を待とう。

次の日の仕事後、帰宅すると、時間指定通りに品が届く。
洗濯したオーバーオールも乾き、吊りカンを装着するのみである。
発送された包みの封を切り、品を取り出してみて愕然とする。
こ、これは、近所の洋裁店で見たサイズが小さいヤツではないか!
わなわなわな、罠に落ちそーう。
いったいオリは何をやっているんだ、とオーバーオールを握りしめながら自身を呪う。
とんだ徒労だ。

後ろで、息子が、自転車のカギを無くしたと騒いでいる。
ブルータス、オマエもか。
いかんこのままじゃいかん、都会は泥棒だらけだ、カギを締めていない自転車は盗まれるのを待ってるあの娘のハートだ、とわけのわからぬ焦燥感で駐輪場へと走った。
オレの自転車のカギで二台を括ってしまえば安心だ。
そうしてカチャカチャやってると、足下でチャリっと音がする。
な、なんと散々探して見つからなかった吊りカンちゃんぢゃあーりませんか!
ようやくオリジナルの吊りカンを装着し、我がオーバーオールもご満悦であった。

ちゃんちゃん。

しかし!、と僕は考え込んでしまう。
ここには、どういった教訓があるというのだろう?
予兆、サインを見落としたのか、それとも重要なのは待つというコトだったんだろうか、すべては偶然の産物?
それとも、必然であり、大いなる力によって仕組まれていたコトなのだろうか??サイズが合わない吊りカンをどうすればいいのか???
何故??? の嵐に見舞われ、途方に暮れるのであるが、これはただそれだけの話でしかない。

生活はこういった小話で構成されているに過ぎない。深読みもできるだろうし、放っておけば勝手に辻褄が合うように出来ているのだ。

そして似合わない裁縫など、最初からしなければ、こんな物語も発生しなかったんじゃなかろうか、ともいえる。

いずれにしろ、なにかものすごい事件でも待ち受けているんじゃなかろうかといった種類の人が、目を通すようなもんじゃなかった。
とも言える。

どうもお生憎様でした。

【archive】2017.6.20.