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【鉄面皮日記】22/06/12. Que Sera, Sera

4年前(2018年)の今日、親父が死んだらしい。
らしい、というのは、死に目に遭ったワケでもないし、ちょうどこちらへ移転して3ヶ月くらいしか経っていなかったというタイミングでもあり、詳細はまったく不明瞭なのでした。
なんでも酔って風呂場に入りそのまま昇天したらしい。
4年前の今日、電話で報せを受けた後に警察から事情聴取の電話も受けた。
変死、という扱いらしい。
気持ちよく泥酔して風呂の湯船で出航という、これはなかなかどうして悪くはないのかも知れない。
風呂と便所は気持ちがいいからね、浄化と排泄だ。
未だに実感は伴わないけれど、もう二度と話せないんだなと思うと切なくもあり、それでももうこれ以上時間は必要なかったというような気もしてる。
話したかったコトはたくさんあるけれど、話せなかったという事実が、実際に話すというコトよりも重要だったような気がするのです。
その死の3ヶ月前に東京を離れる報告をしに会った時も、いよいよ老いぼれ歩行もおぼつかず、少し呆けているような感じで、確かにその予兆はあったのだ。
生まれる時がアクトならば死ぬ時はアクション、その所作すべてがひとつの演目であり、曇徴(どんちょう)が下りるまで人は役割を演じ続けるしかないんだ。
反芻してくれる人が居て、何度もその死を噛み砕き死者を悼む。
思い出す人がすべて根絶やしになったら、やっと安らかに昇天するコトができるのやも知れない。

少ししんみりとしたところで、やんわりと。
幸いまだ死んでいないので生きてるのだが(たぶん死んだら意識はないので死は実感できないだろうが)
生きてるからこそ、なにか活動をして生きてるコトを知らしめたい。(己れにも周りにも)
無駄な足掻きであるだろうが、僕は元来 "足掻キックス"であるのだ。
死んで花実が咲くものか、死者の花見はさぞや壮絶やろな。
仕事(或いは労働)それも生業の中、賃金を得て生活をしていく手段であるが、僕はただの機械ではない。
自身を動かす原動力、覇気が"クオリティ"を純化するのだ。
そこに在るのは、"純化"
目前にあるそれはまだただの塊にすぎず、そこにたいした意味はない、
だがそれを磨き続けていけばやがて光沢を持ち、ささくれたものも丸みを帯び、純度を増していく。
自身に必要だったものは其処に在ったという話だが、そこに行き着くためには磨くだけの忍耐力や努力、時間が必要となる。
やる前から投げ出してりゃ辿り着くワケもないから一歩を踏み出す。
人生はワンツーパンチ〜三歩進んで二歩退がる、
確実に一歩は進むことになる。
大概の人は磨く前に挫け中途で見限ってしまうのだが、目の前に求めていた究極の真理が在るというのに、それをうっちゃり、たくさんの未完成の塊が辺りをゴロゴロ転がっていて、つまらない人生だったと嘆く。
いや違うだろ、ひとつのコトに集中だ。
それしかないんだ、というよりもそれ以外に自身を救済する方法はない、そう思い磨き続けるんだ。
と、いうように自身を叱咤して、労働に准ずる。
磨き続けたものがまったく役立たずで無駄骨だったとしても、それを選択したコトを悔やまない。
生きてりゃどうにかなるものさケセラセラ

いい加減なもんだな世の中なんてケセラセラ。