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【鉄面皮日記】23/02/11. 岬でまつわ。

随分とご無沙汰ぶりではありますが、生きてます。
少し言葉から離れたいと思って、そしたら違う感覚が研ぎ澄まされるんじゃないか、そんな浅はかな思いに囚われてみたが、やはり書こうが書くまいがたいした違いはなく同じように軌道が続いていくだけだった。
そのやうに続くのであるが、就労先に於けるあまりにもルーティーンな現状に辟易してる。
さすがに10ヶ月ともなれば、自ずとやるべきコトはマンネリ化してくるワケであろうが、それにしてもこの周回は堪える。
同じ時間に出勤しタイムカードを押し、利用者の送迎、1ヶ月でまわす観葉植物の入れ替え、お昼は施設に戻ってお昼ご飯の配膳、自席で手弁当、午後も同じく車を走らせ入れ替え、送迎をこなして掃除、残り時間は内職仕事を手伝い、タイムカード、17時釈放。
この周回も残すとこ3ヶ月とはいえ、少し嗚咽混じりだ。

植物を触ってられるコトは楽しい。
ハウスで水遣りをしてる時間は、それに集中してかなりトんだ状態(座禅に近い境地)だ。
痴呆な上役との接触も少ない(思うにこいつが一番知的障害者なのではと勘繰っているが)
一緒に得意先を回っている利用者TKくん(30代)にも馴れた。
やはり障害者なので通常では考えられない行動形式があり、こだわりも強いところがあるが、それさえキャラクターとして認知してしまえば、健常者と同じだ。
いやむしろ純粋さ故に裏がないので、その行動や言動には隠されたものもなく、不純さが無い分、世間のいわゆる正常とされている大人の汚らしさはない。
僕は十代の子供の世話をしてるような気になり、彼の好きなアニメやカードの話に相槌を打ち、突然の発作などを気遣い、仕事の愚痴(たぶん仕事を理解していないだけ)、小さな衝突の文句(利用者同士些細な行き違いが起こる)失礼な態度もぜんぶ込みで、それがTKくんの持ち味ということで落ち着いた。
なにしろ(驚愕することに)この観葉植物レンタルの業務を、彼は10年以上続けている。
これは生半可なコトではない、その背後にあるリース代金や集金、得意先との商談、そういったコトなど考えもせず、黙々と植物を入れ替え10数年周回し続けているのだ。(ちなみに賃金は、僕の5分の1くらい)

巨体のKMくんは相変わらず自分の興味の赴くまま、機関車トーマスのシールを集め、走り回って会話が成立しないが何かを連呼し、テレビゲームは上手で、自分が送迎をしたりもするので邪魔者ではないと認知されてきてるようだ。
問題児YUくんは今年から病院に収監され、だから施設内は平穏な空気が流れている。
そんな施設は、永遠に歳取らず、過去も未来もなく現在だけが粛々と動き、
かのネバーランドの住人達はずっと遊び惚け、そして思考しないから困惑もない。
ふと生まれ、ふと生かされ、ふと死んでいくだけなのだろう。
それが人として幸福なのかと問われても、僕には答はない。
僕はといえば、この労働に疑問を抱きつつ、それを賃金との秤にかけ、矛盾と妥協、それに嘘まみれ、自身を誤魔化しながら期日まで忍従するだけなのだった。
嘘も方便、は知的障害者には通用しない。
いつでも本当で生きているから、まやかしやごまかしなど生きていく上での方策など皆目見当がつかない、そんな有り様であろう。
純粋て言葉だけで括っていいのだろうか、インチキな自分にはそのような動物的さは理解できない。
ズルや要領、知っていても的を外す優しさ、見て見ぬふり、勘繰り、間違い、行き違い、
そんなところも人間て微笑ましいものだから。


線路は続くよ何処までも