花粉症

普通より少しだけ厳しい家庭で育ってきた。


といってもエピソードトークが何本もできるくらい厳しかったわけじゃない(あたかも日常的にエピソードトークを話す場がある人みたい)ので、

プラスに消化することもできず、何となくネガティヴな箱に入ったまま、ちょっとしたコンプレックスと化している。


そういえば、最近記憶をそのジャンルごとの箱に入れるものとして考えるようになった。

例えば「よくわからないけどなぜか忘れられない」の箱には、「木村昇吾の登場曲が当時流行っていたカーリー・レイジェプセンの『Good Time』で、プレイスタイルの割にポップな曲選ぶなと思った」

「初めて行ったお好み焼き屋さんでチーズをトッピングしたお好み焼きを食べていたら、優しそうな店主から『チーズ入りは終盤重いでしょ?』と言われて、そう思うならそっちで調整しなよと思った」

が入っていたりする。


それは置いといて(箱だけに。箱だけに?)、当時はまあそのちょっとした厳しさがすごい足枷に感じたし、今につながる劣等感の原因になった気もする。


まずゲーム。させてもらえなかった。
DSやPSPなどの携帯が可能なゲームはダメ。親の見えないところで何するかわからないから。小4にして初めて我が家にやってきたWiiも週に30分だけしかできなかった。酔っちゃうから。(本当に酔っちゃう。)

こうやってちゃんと理屈をつけてくれるのでそれなりに納得していた(せざるを得ない)けど、その分小学生には反論ができないので、今思えばずいぶん大人気ないやり方だったように思える。ひどい。


そして漫画。全然買ってもらえなかった。
小学生の間、親に買ってもらった漫画はドラベースの1巻から13巻までだけだ。
コロコロに関しては2冊。流石に少なすぎる。同世代の人間がどれくらい買ってもらっていたか知らないけど、それでも少ないのはわかる。少ない。


まあゲームと漫画に時間を取られなかった(取れなかった)分、映画を見たり本を読んだりして、それは今に十分活きていると思うけど、

やっぱり当時友達の家に行っても全然楽しくなかった経験は「なかなか辛い」の箱に入ったままだ。

その箱に入っているものって、何か武器とかに変えて利用できない限り、一生マイナスにしかならない。大小関係なく。

たとえばそれが誰か他者によって作られた辛い経験で、その人にそのことを謝ってもらったりしても、そこに囚われた時間が戻ってくるわけじゃないし。


これは花粉症にも言えるよね。


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