もしも本当に今回の人生が1回きりだったのならば
人生には、
過去生もカルマも、何にもなかったとしたら・・・
それでもあなたはカルマの解消や、過去生の精算のために辛いことが起こって、今の人生は仕方ないのだと、そう言えますか
もしも真実は、
ただ生きて、ただ死ぬだけだったとしたら
植物が枯れて、死んで
動物が死んで、自然に帰るように
私たちも、生きて、死んで、ただ焼かれて灰となって、ただ土に帰るだけだったとしたら
実はなーんにも、「ただ生きて死ぬ。そして終わり」
だったなら
伊吹山の集落に暮らすおじいちゃんが、悟りのようにそんな風に話していて、
なんか考えさせられましたね
正解はわからない
昔の人はそういう概念が当たり前だったかもしれない
でも、90歳って、90年歴史を刻んで、歩んで、この山の中で暮らして、そしておじいちゃんの出した自分の答えは
死んだら終わりで何にもないんや
だから、今をもっと真剣に生きろ
なぜだか、90年生きて、この答えに行きついて、
すごく考えさせられた
そして、こんな「問い」を立ててみた
次はなかったのだとしたら。あの世もなくてただ本当に藻屑となるだけだったら
実は過去生の自分のせいでもなんでもなかったとしたら
ただ自分が純粋に「生きて」いるだけだっとしたら
なぜ今目の前のことが起こるのかわ分からない
なぜ生きているのか分からない
そんな正解のない難しいことは全部とっぱらってみるのもいいかもしれない
ただ、生きて、死んで、終わり。
先も、後も、ない
記憶もない
魂なんてなかった
本当になくなって、無になって、
本当に「終了」「ジ・エンド」だったのなら。
ただ本当に空気を舞うような灰となって地球を構成する物質のただ一つの灰になるだけだったら、なーんにもないただの灰。
残りの人生をどんな生き方をしますか
本当に何にもない、来世もあの世の世界も、死んで魂に戻ることもないのなら
過去から何も引きずってなどないのなら
動物に子が生まれ
植物が飛ばした種から芽が出るように
ただ、命の繋がりだけで、
ただ、「生物発生」しただけだったのなら
そして、やはり、死ぬだけであり、
人が一人生きていることが
私たちが思っているような壮大なストーリーや
崇高な人間様などではなくて、
植物と同じ
動物と同じ
人間と同じ
そんなカラクリであったのなら
たんぽぽがそこに一本生えているのと同じ存在だったのなら
誰も分からないじゃない、真実ってさ
私はいわゆる過去生を見るという謎なことが起こるから死んだ後にも記憶があって魂はやはりあるのではないかと思っているのだけど、
それでも、自分が見たもの、自分がなぜか知っていること、それも全部、いつもこういう視点を持って常に考えたり疑ったりする姿勢は忘れないようにしてる。自分が見たものも、ぜーんぶ違ったのならば!!!
あなたの世界は一変するかもしれませんよー ふふふ
「もしも◯◯だったなら」
自分が「当たり前だ」とすでに思っていることの逆をついて考えてみると、結構ね、、はっとさせられることが多いと思う
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