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朗読をさせていただいたら平安京にいた頃の事を思い出した。


音声配信19
啓蟄を踏みそうになった。七十二候。こじかさんの続・アラシヤマ。の朗読。イントネーションについて感じること。こじかさんに会いに行くために妄想してる。の、お話しです。


こじかさん!ありがとうございました(*´ ˘ `*)
イントネーション上手に読めたつもりですが、いかがでしたか。ふふ。
平和なパラレル平安時代のこじかさんに会いに行きました。


物語。

『万葉集の成り立ち』

ゆき……武蔵国(の、今で言う東京の端っこ。)の人。防人として対馬に配置されていた。国土防衛兵の任期を終え故郷に帰る途中。読み書きはできない。脚力と体力が自慢。呑気。京の都の道は全部同じに見える、と思っている。

こじか(敬称略)……山城国(京都)の人。記録係。官人。和歌とお酒が好き。木簡マニア。日々木簡に埋もれて過ごしている。
木簡は何度でも削り繰り返し使えるが、最近流行りの書簡は書き間違えても削れない。値が張るばかりで紙は不便、木簡こそ至高、と思っている。


明るい夜だった。
お猪口の中に揺れる小さな月。
虫の声を聞きながら徒然に歌を思い浮かべる。
ほどよく酒が回り心地よいところ、先程から家の塀の前を何度も往復する怪しい人影がある。
何者かと呼び止める。どうやら道に迷ったらしい。
少し話しただけですぐに素性が分かった。
つい先刻、昼に仕事で、京へと戻ってきた各国の防人の人数を記録したところだ。
その者の話す東国訛りが珍しく、酒を勧める。
今日は月が明るいですね。とおそらく言ったのだろう。耳慣れない喋り方は、遠い果ての大地を思わせる。故郷はススキだらけの野原だそう。熊や賊に襲われる心配は無さそうだ。

こじか「“武蔵野は 月の入るべき 山もなし 草よりいでて 草にこそ入れ”(*1)
という歌を木簡で読んだよ。本当にそうなの?」

ゆき「はい。わりとそんな感じです。今の季節だと夜はススキが一面にぼんやりと浮かび上がり、とても綺麗ですよ。
京では山も家屋も月もみな大きいですね。歩いていると大きな影の中に、自分が一段沈んでいるような不思議な気分です。」


こじか「京の大きい月か……
“盃に 入るべき月は ただ一つ 京の宵闇 照すは何処”
どうでしょう?一首詠んでみました。しかし防人廃止の令が出たけど蝦夷やら京の警護やらに生き残った防人さんは駆り出されたりするんじゃないかなあ。なんか強そうだし。」

ゆき「ああそれでしたら、自分なら身寄りがなく、村で一番に防人に選ばれたのでちょうどいいです。その前に亡くなった仲間の魂を村に持ち帰らないといけないので故郷へ戻りますが。

友人が道中…… 
“我が妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて よに忘られず”(*2) 
私の妻は、私のことを恋しがっているだろう。飲む水にまで妻の影が映り、忘れられないのです。
と言っていました。友人の想いを、どうしても親族に伝えたいのです。」

こじか「ふむ……それ…マンヨウシュウに入れよう。」

ゆき「えっ?」

こじか「いや、大切なものを犠牲にし、命を賭して国土を守ってくれた防人さんの気持ちは後世に残すべきです。」

ゆき「ありがとうございます。そう仰っていただけると本当にありがたいです。あ、そういえば常陸国の鹿島から来た仲間はこんな風に言ってました……(*3)」

こじか「どれどれ……いや、ちょっと待て書き留めたい。木簡持ってくるから待っててね。墨を磨っててくれる?」

ゆき「はい。(ゴシゴシ)」



そうして防人歌が書き残されたのでした。

木簡マニアのお陰で、紙でなく木に書かれた貴重な歌たちは後世にいい感じに残されました。こじかさんがマンヨウシュウと名付け個人的に趣味で集めた歌は後に、万葉集として皆に知られるようになったのです。(大嘘)



*以下参照*

万葉集の東歌・防人歌には、多くの東国方言による歌が載せられている。東国方言は現在の長野県・静岡県から東北南部、すなわち信濃、遠江、駿河、伊豆、上毛野、武蔵、相模、陸奥、下毛野、常陸、下総、上総、甲斐、安房の歌が伝わる。
上代東国方言とは何?分かりやすく解説Weblio辞書
https://www.weblio.jp/content/上代東国方言

因みに東歌(東国で詠まれた歌。)は中央の歌と比べると方言の違いの他に表現が直接的という特徴があったそうです。労働歌に恋愛歌。性に開放的な感じ。貴族の方はそんな歌を読んでおおっ!となったのかな?


防人(さきもり)
 663年に朝鮮半島での「白村江の戦い」に敗れたのを受け、唐や新羅からの侵攻に備えて、北部九州沿岸などに置かれた警護兵士。翌664年に壱岐・対馬・筑紫に防人が設置されたとの記述が「日本書紀」にある。当初は東国から集められ、任地で耕作して自給自足の生活だった。3年とされた任期は守られず、帰郷しない防人も多かった。東国からの防人は757年に停止されたが、766年には筑紫にとどまっている東国防人を再度配備。防人自体は795年に壱岐・対馬を除いて廃止され、826年には制度そのものが崩れたとされている。
防人-Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E4%BA%BA



(*1)
“武蔵野は 月の入るべき 山もなし 草よりいでて 草にこそ入れ”
『続古今和歌集』の「武蔵野は月の入るべき峰もなし尾花が末にかかる白雲」が読み継がれ変化した歌です。
ですので本当はこの時代より少し先になります。




(*2) 
“我が妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて よに忘られず”
万葉集第20巻4322番 天平勝宝7年2月6日
若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)
麁玉郡(あらたまのこほり。今の静岡県浜北市と浜松市の一部)の方。

(*3)
”霰(あられ)降り鹿島の神を祈りつつ
皇御軍(すめらみくさ)にわれは来にしを”
霰降る猛々しい鹿島神宮の神に祈りを捧げながら皇軍の兵士として私はやってきた。
万葉集第20巻4370番 天平勝宝7年2月14日
大舎人部千文(おおとねりべのちふみ)

万葉集ナビ❘万葉集の全4516歌をまとめたサイト
https://manyoshu-japan.com/








春探す カエルも芽にも暦にも 
風が流れる 柔らかく






お読みいただいてありがとうございました(*´ ˘ `*)











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