寺田寛明さんのR-1ネタのつかみについての考察


寺田寛明さんのR-1グランプリで披露されたネタのつかみで、

「インスタにしょっちゅう肉寿司の写真を載せている女は

肉寿司が大好き」

というものがあった。

つかみとして物凄く分かりやすく、そして引き込まれるものだったように感じたので、考察していきたい。


このつかみの引きの一番の要因は、(恐らく)港区"女子"を自称する人達のことを女と呼ぶことだと筆者は思っている。

自称している『女子』、そうでなくてもこのご時世『女性』と言うのはメディアに出る上での炎上対策として最低限のマナーであると言える。

「女」と言うことにより、上の句の時点で

"寺田寛明は、インスタに肉寿司の写真を載せる女性の事を良く思っていないのだろう"

という思い込みを一瞬のうちに視聴者に刷り込んだ。

それを助長するのが"インスタ"と"しょっちゅう"という言葉選びでもある。

インスタはInstagramの略称であり、しょっちゅうは頻度が高いという意味の話し言葉である。

つまり、

これから言葉を扱うネタをやる寺田寛明が、つかみでわざと話し言葉を使っている

という違和感を植え付けることに成功しているのである。

そこから導かれるのは、

これは何度も推敲され整備された綺麗な文章ではなく、勢い任せに書き出された、本音に近い文章である

というもの。

心からインスタに肉寿司の写真を載せる女に嫌悪感を抱いているのだろう、と確実に思わせる構成である。


しかし、続く言葉は

「肉寿司が大好き」

そりゃそうだ、と。

ある意味視聴者を拍子抜けさせる構成。

同時に、とんでもなく核心を突いた事を言うネタをするような人なのかもしれない、と期待した視聴者を切り落とす危険も伴っている。

一昨年M-1でウエストランドが優勝した事を考えれば、こういった方向に舵を切るピン芸人が出てきても不思議ではない。

しかもウエストランドの優勝は、かなり審査員の「最近の様々なものを規制し、有名人が発言力を失っている"時代の流れ"とやらを変えてくれ」という祈りが大きく影響したと筆者は考えている。

ウエストランドがどこまで計算であのネタをやったのかは分からないが、流れに乗っかり審査員に媚びを売るとすれば、ネタがこの方向へ向かうのは軽率ではあるが分からない話ではない。


しかし、寺田寛明は一枚上手。

狡猾である。

ここで核心を突いてしまうと、炎上の可能性があるのは勿論、同系統のボケを四分間続けることを期待されてしまう。

つかみからオチまで緩急をなくし、言ってしまえば他人の悪口や悪態を突き、毒を吐き続けるしかなくなってしまうのだ。

そしてこういったジャンルを求める人たちは例に漏れず、退屈が嫌いである。

退屈が嫌いだから炎上現場を探しているし、これから賛否が飛び交い盛り上がるであろうものを見逃すまいとテレビやネットにかじりつく。

そして、そういった人間に目を付けられたら最後、炎上リスクの高いボケを続け、途中で判断を下されない為に息をつく間もなく喋り続けないといけなくなる。

コンビなら片方が話している隙があるが、ピンだとそうもいかない。

ひとりで隙間なく喋り続けていると、こちらとしても少々見づらくなってしまう可能性が高い。

特に寺田さんは前年ネタ中に緊張からか何度か派手に噛んでいた。

誰にも迷惑をかけない可愛いミスという印象だが、特筆して滑舌が良いという訳でもない為、言葉数を詰め込むとネタ自体が破綻してしまう可能性もある。


要するに、あのずらしたつかみは、

炎上のリスクを回避し、更にネタの精度を下げずに自分が核心を突ける人間であることをアピールした

ということになる。


また、画面の表記は「大好き」であるが、寺田さんの発する発音は「だぁいすき」であることも、悪意のない柔和な印象へと引き戻す手法であったのかもしれない。

「肉寿司がだいすき。はい、ということでね」と流されてしまっては、引きだけが上手い人として終わっていただろう。


今回のネタは特に、「○○という言葉があります」という導入でオムニバス形式に言葉を紹介していく形式だった為、言葉を紹介する時点で引きを作ることが難しかったと思う。

つかみで引きを作るのが上手いということを主張しておかないと、視聴者の興味が離れてしまう可能性もあった。


結果としては優勝には届かなかったが、私は寺田さんの静かで緻密なネタが好きである。

これからも我が道を進んで欲しい。

来年こそは優勝に手が届く事を願っている。


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