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「人生脚本」の登場人物を演じる~教師と子どもの転移と逆転移 その2~【交流分析 for Teacher④】

参考資料:江花昭一著『虐待・いじめ・不登校の交流分析―親子と教師に役立つ心理学―』(岩崎学術出版社)
トニー・ティルニー著/深澤道子監訳『交流分析事典』(実務教育出版)
祖父江典人著『対象関係論に学ぶ心理療法入門 こころを使った日常臨床のために』(誠信書房)

この記事は「交流分析 for Teacher」②と③のまとめになっています。

交流分析 for Teacher③では、精神分析用語の「転移」「逆転移」について筆者の経験に沿って書いてみました。

転移
クライアントが過去に自分にとって重要だった人物に対する態度や感情をカウンセラーに対して向けること

逆転移
クライアントの転移に対して、カウンセラーが持つ感情

精神分析では、こうしたことは治療室内、つまりカウンセラーとクライアントのような治療関係の中で起きることだとされています。
この記事では「交流分析ではどう扱われているか?」という点について見ていきます。

交流分析のなかの「転移」と「逆転移」

交流分析では、「転移」「逆転移」は治療室内だけで起こる特別なことではなく、広く一般の交流の中でも見られるものだと考えられています。
交流分析用語の中には「転移」「逆転移」の概念が暗黙のうちに含まれているものもあります。たとえば次のようなものです。

  • 交叉的交流

  • 輪ゴム

  • 共生関係

  • ドライバー行動

  • 値引き(ディスカウント)

  • ゲーム

  • 脚本

  • 「だれかの顔を貼りつける」

いろいろあるんですが、ここでは「輪ゴム」「脚本」「だれかの顔を貼りつける」について書いてみたいと思います。

だれかの顔を貼りつける

「だれかの顔を貼りつける」というと、もうこのネタしか思いつきません。

ロバート秋山さんの「体ものまね」!
このネタみたいに、誰かの顔をバーン!と貼りつけるみたいなことが交流分析で言う「転移」なのです。(ネタとは違って、意識的にやってるわけではないんですけど)

「交流分析forTeacher②」で書いた「おばあちゃんのお嬢さん」は、相談に乗ってくれるM山さんの顔に、自分のお父さんの顔をバーン!と貼りつけることをしていたと言えるのではないでしょうか。

交流分析だけに。

交流分析を提唱した精神科医。

輪ゴム

このように誰かに貼りつけている「顔」は、過去の自分の体験の中にあります。

「輪ゴム」という表現は、心が過去にギューン!と引き戻されることを比喩的に言い表したものです。

輪ゴムで過去に引き戻されている人は、「今、ここ」を生きていない状態にあります。

しかし「顔を貼りつけられた」というだけで、その相手があたかもその顔の人物のように振る舞ってしまう(つまり逆転移してしまう)のはどうしてなのでしょうか?
そのことに対する説明として、「脚本」という表現を考えるとかなり理解しやすいと思います。

「人生脚本」とは??

交流分析でいう「脚本(人生脚本)」は、個人の人生計画を比喩的に表現したものです。『交流分析事典』で「人生脚本」を引いてみると、こんな風に書かれています。

無意識の人生計画で、早期の経験がその起源であり、人生をどのように生き抜くかというやり方を決定するものである。

トニー・ティルニー著『交流分析事典』

人生計画が「早期の経験」によって決まっていて、その通りに進んでいく、という考え方です。

人生の「早期」というのは幼児期の事です。

「物語」じゃなくて「脚本」というところがミソだと私は思います。
脚本というと、演劇や映画などの台詞や動作を書くものですよね。
ある人の「人生脚本」を開いてみると、配役と、台詞や動作が書いてあるわけです。その人の過去の重要な人物がどう振る舞ったかが書いてあります。

「転移」というのは、幼児期に書いた「脚本」を「いま・ここ」の人間関係の中で誰かに渡してしまうこと
「逆転移」というのは、脚本を渡された人がその役を脚本通りに演じてしまうこと
と言えるのではないでしょうか。

「あなたはこの役ね!」とお願いされると、役者はついついその役を脚本通りに演じてしまうわけです。
これが転移感情に巻き込まれるということなのではないかと思います。

「逆転移」に巻き込まれてみると…

誰かの脚本に巻き込まれるということは、感情的にとても負担のかかることです。だからといって、巻き込まれないようにするのがベストなのかというと、必ずしもそうではないと思います。

「逆転移」について、こんな風に書いてある本もあります。

転移が強烈なほど、必然的にある程度巻き込まれ、セラピストも心が狭隘化し、「単眼の視点」に陥りがちになります。
ですが、まったく巻き込まれなければ、クライエントが幼少期から反復している、未解決の葛藤としての転移も展開しません。それでは逆にセラピーにならないわけです。クライエントがセラピーの中に幼少期からの自己を持ち込めなくなりますから。ですから、セラピストは転移にある程度巻き込まれる必要もあるのです。巻き込まれながらも、どのような転移が働いているのか、逆転移を通して吟味しようとするのです。

祖父江典人著『対象関係論に学ぶ心理療法入門 こころを使った日常臨床のために』

「セラピスト」を「教師」に、「クライエント」を「子ども(生徒)」に置き換えて読むと、「そんなことできるわけないやん!」という声も聞こえてきそうですが…

それは簡単なことではありません。知恵も、機転も、そして度胸もいることです。
でも案外、子どものことを理解し、忙しい中でも最短で対応するカギがそこにあるのかもしれません。
「お嬢さんのおばあちゃん」の事例を考えても、一度「逆転移」に巻き込まれてみたおかげで糸口がつかめたし、それが仕事の効率化にもつながっているわけですし。

生徒の「人生脚本」を受け取り、誰かの顔をバーン!と貼りつけられたら、感情移入しすぎずに脚本の中身を吟味してみるということが重要なのではないかと私は思います。

(あくまで心の中で)

関わり方が「何かおかしな感じがするな」「なにか違和感があるな」と思っても、「どこにどんな違和感があるのか」が分からなければ、対応のしかたが分からないからです。

脚本の登場人物になって、試しに「演じて」みるのです。あくまで「演じている」ということを最後まで忘れないようにするのがポイントです。その役になりきってしまったら、教師自身が方針を見失ってしまいます。
するとそこに書かれている子どもにとっての過去の重要な他者はどんな人で、どんな関わりをしてきたのかが分かります。

それが関わりの第一歩であるということが、『対象関係論に学ぶ心理療法入門』の本には書かれているのだと思います。

とはいえ教員はセラピストではないので、「セラピーを展開するため」というわけではなく、あくまで「うまい関わり方を見極めるため」にこのような考え方を利用してみるのはいかがでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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