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大学時代、フジファブリックと。

私の好きなラジオで2週連続でフジファブリックが流れた。

佐久間宣行ANNで銀河。シソンヌのばばあの罠で若者のすべて。

私にとってフジファブリックは大学時代を彩るテーマソングの再筆頭。  改めてフジファブリックとの思い出を振り返りたくなった。

最初の出会いは大学2年、バイト先の吉野家。              アイドルタイムという暇な時間に、仕込みや掃除をしながら、有線から特長な音楽が流れてきた。

「タッタッタッタ タッタラタッタ〜〜」

意味のわからない言葉に反したキラキラした音。お経のような声。なんだこれ。

湯飲みを洗う手を止めて急いで歌詞をメモし、休憩中に検索。      フジファブリックの銀河という曲らしい。

後日、掛け持ちバイト先のカフェでバンド系音楽に詳しい仲間に「フジファブリックって知ってる?」と聞くと一瞬で彼女の目が光る。

「なに、興味ある?今度下北でワンマンあるけど行く?」

「うん、行く。」即答。下北、ましてやライブハウスなんて行ったことないけど。

ちょっと早めに着いた下北でメンバーを発見し、普段はクールビューティな同僚が色めき立つ。

その日のライブの詳細は覚えてないけど、とにかくそこから私はフジファブリックにハマる。

ライブはどれだけ行ったか覚えてない。小さいとこから大きいとこまで。 フジファブリックがライジングに出るってことで埼玉→北海道まで青春18きっぷもどきで初フェス参加もした。大学4年の時には入学後初めて開催された学祭(それまで学生運動の残党の関係で大1〜3年は学祭休止してた)でフジファブリックが来て、運命を感じた。

確実に、私の大学時代はフジファブリックが鳴り続けていた。

社会人になるととにかく忙しくて少し音楽とは距離を置くようになり、そのうちフジファブリックは目を離した途端、大人な曲を奏でるようになっていた。  

初期のポップでありながら陰鬱で変態な世界観が好きだった私には少し不満があった。フジファブリックとイコールで語られる『若者のすべて』も普通にいい曲作ってんじゃないよ、と出た当時はそこまで刺さらなかった。深く聞きもせずに。

そして社会人3年目。2009年12月25日、当時流行っていたmixiの右側のニュース欄で目を疑うような見出しを見つける。

「フジファブリック志村正彦 24日に急死」

芸能人が死んで、あんな胸を潰されたような気持ちになったのは後にも先にもあの時だけだったと思う。嘘を願ってとにかくネットニュースを貪ったけど、調べれば調べるほどぼやけていた事実の輪郭がはっきりしてくる。

どんなクリスマスプレゼントをファンに贈ってんのよ。

もうライブに行けない。ライブがあっても志村はいない。ライブでしか味わえない『打ち上げ花火』や『地平線を越えて』のグワっとした感じを体感できない。

(↑斉藤和義バージョンですが、本人じゃない人が歌っても志村の音楽センスがしっかり感じられるところがお気に入りなので敢えてこちらで)

確かに音源は永久に残るけど、ダークサイド系の楽曲のライブでしか出せない壮大感が好きだったのでそれが感じられない悲しさ。        (ちなみにBOOMBOOMSATELLITSの川島さんが亡くなった時も同じことを感じた)

好きなアーティストが死ぬってこういうことなんだ。と初めて体感した。

志村が亡くなり10年を越え、もうすぐ11年の命日を迎える。       享年である29歳をとっくに追い越し、36歳になったけど今聞いてもどの曲も変わらず輝いてる。10年越えてもこの輝きなら、もうずっとキラキラなままだと思う。

若者のすべてしか知らない人は、ぜひ志村が残した他の曲にも触れて欲しいなと切に願う。

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