【レポート】#9.居場所のこれから
9月25日(水)、ついに最終回を迎えた居場所の解剖学。最後のゲストは、東京大学先端科学技術研究センター特任教授、経済同友会会員、認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長を務める、湯浅 誠さんです。社会活動家であり、居場所の研究をし続けている湯浅さんと、過去のシリーズを振り返りつつ、「“居場所”のこれから」について探っていきました。
前回までの振り返り
8月8日(木)に開催した第8回では、認定NPO法人フローレンス会長 / 一般社団法人こども宅食応援団 代表理事 駒崎弘樹さんをお招きし、「“アウトリーチ” から考える人の居場所」について解剖しました。過去の回を振り返りたい方は、下記リンクからご覧ください。
▷第1回レポート/居場所の法則(仮説)はこちら
▷第2回レポートはこちら
▷第3回レポートはこちら
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ゲストトーク
湯浅さんは、1990年代よりホームレス支援に従事され、2009年から3年間内閣府参与に就任。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長、法政大学教授(2014~2019年)などを経て現職に至ります。
湯浅さんには、過去の解剖学での議論に基づき、「居場所づくりの動態論」として、さらにそれらを深掘りする形でお話しいただきました。中でも、より深く考えたい点として、湯浅さんは以下の4点を挙げました。
それらのことを考えるため、湯浅さんはケーススタディとして、自身が「居場所」を感じたという島根県海士町での経験を話してくださいました。
ケーススタディ:島根県海士町での例
2012年、湯浅さんは地域で活躍する若者を取材するため、海士町を訪れました。移住者の多い海士町は、その若者たちにより盛り上がりを見せていました。その一方で、湯浅さんは、地元の若者たちはその様子をどう感じているのだろうかと、気になっていたと言います。ある飲み会の席で、湯浅さんが役場の方にそういった話をすると、ある出来事が起こりました。
湯浅「飲み会の途中、役場の方から急に店の外に呼ばれ、2、3軒離れた民家に案内されました。そこでは、私の会いたかった地元の若者たちが宅飲みをしていたのです。しかし、見知らぬ私が急に入ってきたことで、その場の雰囲気が緊張。すると、その次の瞬間、若者たちと顔見知りだった役場の方が、私のことを『この人はお客さんだ。東大卒のAV男優だ』と事実とは異なる紹介をしました。すると、性に興味津々な世代の若者たちは関心を示し、緊張したその場の空気が瞬時に変わったのです。それは、役場の方が瞬時にそういう“お面”を私につけた言えるのではないかと考えました」
この時に起こっていたことを湯浅さんは、次のように整理します。
1.何が起こっていたのか?→仮面の即興劇
誰かが役(お面)を瞬時にオファーし、誰かがその役(お面)になるような即興劇のようなことが起こっていた。
→事例では、役場の人が、「東大卒のAV男優」というお面を湯浅さんにオファーした。
2.役場の方は何を「見た」のか?→「場」を見た
飲食店や会議室など、その空間に入った瞬間に居心地が良さや悪さを感覚的に掴むことがあるだろう。それは、一つ一つを分析しているのではなく、瞬時に直感的または全体的に見ているということになる。
3.「場」を見るとはどういうことか?→「場」がもたらす影響・情報を、直感的・包括的・全体的に体感すること=ざっくりとずぼらにつかむこと
私たちは、「場」を細かく分析的に見る目と「場」をざっくり見る目の両方持っているのではないか。「場」がもたらす影響や情報を直感的・包括的・全体に体感することがあって、事例のような紹介があったのではないか。
4.「東大卒のAV男優」発言の意味→切断をもたらす創造。求められた創造によって、新たな影響的場を創造すること
湯浅さんたちが若者の宅飲みの場に入る前にも、彼らの間ではさまざまな話題が繰り広げられ、お面が付け替えられていたと予想される。湯浅さんが入ってきたことで、空気が一瞬硬くなったが、その瞬間に役場の方が湯浅さんを「東大卒のAV男優」と紹介した。それは、硬くなった空気の流れを切断するお面を創造したということになる。「創造」というのは、「場」を切断するものであると同時に、新たに登場した湯浅さんが若者たちと居合わせた場で居場所感をつくるために、その「場」が求めていた創造でもあったと考えられる。
これらのことを総括し、湯浅さんは次のように語りました。
「私たちが求めている居場所づくりの在り様というのは、“切断をもたらす、求められた創造” が断続的に起こり続け、人々が居場所単位、地域単位、そして社会単位でその創造的行為を伝播・伝染し続け、され続ける(つまり、居場所づくりが断続的に行われる)ような社会なのではないだろうか」
居場所づくりは「賭け」のようなもの
とは言え、海士町役場の方のように「場」を見ることのできる人はどうやったら生まれるのでしょうか。湯浅さんは、「居場所」に参加すること、そして「居場所」を運営することを通じて、居場所づくりをできる人が育っているのではないかと話します。
湯浅「私の問いは、居場所は個人的で主観的で暫時的なものであるということです。だから居場所になっているかどうかは、当人にしか決められない。第三者が当人になり変わって、当人の居場所をつくることは論理矛盾だと考えています。しかし、当人が行きたい、何かやってみたいと感じるような場所をつくることなら第三者にも可能です。つまり、居場所づくりというのは、当人が“居場所”と感じられるような場になることを第三者が願って新たな場をつくり、運営する取り組みのことだと定義して、これを居場所づくりというふうに考えれば、居場所づくりは可能だと言えるでしょう」
一方で、そこで行われていることは、「賭け」に近いものがあるとも話します。
湯浅「居場所をつくったからと言って、誰かの居場所になるとは限りません。しかし、誰かの居場所になったらいいなという願いをもって開かないことには、誰の居場所にもなり得ない。だからこそ、まず居場所を開く必要があるのです。どうしたらその賭けに勝てるのかということは、居場所の解剖学で追求されてきた要素なのではないかと考えています」
その「賭け」の正解率を高めようとすると、相手を見て、受け止め、尊重し、つながろうとする意思を持って、工夫を凝らし続けることをやってくしかないだろうと湯浅さんは言います。 そういうことを繰り返しながら、「居場所」を運営することを通じて、「居場所」をつくれる人が育っていくのではないだろうかとお話しくださいました。
居場所の仮説(多様な生態系の話)
促進要素の話までは前回説明を行いましたが、次なる仮説として、私たちは「居場所」には、居場所の生態系のようなものがあるのではないかと考えています。
「装置的な場所」というのは、地域の人々の主体性を育む場所のことを指します。その要素として次のようなものがあるのではないかと予測しています。
例えば、三股町にあるカフェ「コメーキングスペースcome」の場合、装置的な場所の要素は、次のスライドのように変換されています。
その結果として、さまざまな活動や表現が生まれ、そこに存在するコーディネーターがそれらを調和することで、新たな装置的な場所が生まれると考えています。ここで言う「主体性」というのは、何かコトを起こすことではなく、それを育むことで主体的に地域で暮らせる人を増やすことにつながる可能性を指しています。
解剖トーク
湯浅さんのゲストトークと仮説をもとに、解剖トークでは、居場所における「主体性」という概念、「切断と創造」が中心的なテーマとして取り上げられました。
切断と創造の繰り返し
先の仮説の中にあった「主体性」という言葉について、湯浅さんは「主体性と言うと、他を寄せ付けないような印象があるため、一人で完結してしまうもののように受け取られないだろうか」と疑問を投げかけました。それに対し、コミュラボ松崎は「主体性とは、自認した“係”のようなものかもしれないし、自分自身が問いを持つことに近いのではないか」という見解を示しました。
湯浅「もしかすると、主体とは求められた(働きかけられた)ものに応えることと考えることができるのではないだろうか。海士町で私がお面を引き受けたときの私の振る舞い、その若者たちがその時にお面を引き受けてくれた振る舞いは、求められたものでありながら、創造するものでもあり、主体的であったという言い方ができるかもしれない」
湯浅さんが経験した海士町での出来事のようなことは、実は私たちの身の回りでも日常的に起こっているのではないでしょうか。当人がどんなお面をつけてきたかに関係なく、価値観の違う人や全く出会うことがなかった人同士が出会うことでも、新たなお面を引き受けるということは、起こりうることかもしれません。
湯浅さんによれば、それはゼロからおこす創造と「場」から求められている創造の両面があると考えられるとのこと。
湯浅「場を見ることや切断と創造は、決してスーパーマンのような人しかできないわけではなく、場が求めていることをどうキャッチするかということでもあるでしょう。しかし、誰でもできるが、誰もができるわけではない。そこをどう培って行くかということは、より深く考えてみる必要があると思っています」
「場をつかむこと」と「場に働きかけられること」とは?
さらに議論は、「場をつかむこと」と「場に働きかけられること」に焦点が移りました。
海士町の事例であった、湯浅さんが経験したやりとりは、海士町役場の方が、「場」を形成し、「場」を「場」として誰でもお面をつけられる環境をつくりたかったのではないかと考えられます。湯浅さんも「場」を読んで、それを引き受け、そのお面を若者も引き受けたという解釈をすることができるでしょう。
先に述べたように、実はそういうことは、日常的・瞬間的に起きています。しかし、それを分析的にやっていないからこそ、「場をつかむ」とはどういうことなのか、「場に働きかけられること」とはどういうことなのか、その関係性に興味があると湯浅さんは話します。
確かに、海士町役場の方のように、場をつかむことができる人がいると、場がうまく回っていくように感じます。湯浅さんは、それは、居場所にコーディネーターが多ければそれができるという人数の問題ではなく、意味を切り替えることができるかどうかによるのではないかと、過去の解剖学を振り返りました。
湯浅「意味を切り替えると言うのは、切断するということだが、第7回目のデザインから考える人の居場所で、橋の下の話がありましたよね。ゲストの田北さんにとって大切な居場所だった橋の下は、誰かのためにつくられたものではなく、自身が意味を見出したものだったという話です。これは、橋の下が人に求める意味を切断して、彼自身が新たな意味を創造していると言えるのではないかと考えます。それが切断する創造の意味であり、場をつくる創造と言えるのではないでしょうか」
お面と聞くと、人がつけるものというイメージがありますが、もしかすると、橋の下も一般的に意味付けされたお面(レッテルのようなもの)がつけられていると言えるかもしれません。コミュラボ松崎は、意味を切り替えるということで考えると、人のお面だけでなく、「場」自体を切断して、新しい価値を創造する、つまり場の出力を変えるようなことを意識的にできるかどうかということは大切なポイントかもしれないと示唆しました。
湯浅「確かにそうかもしれません。それを培うのが、居場所の役割でもあると言えます。冒頭で話した『居場所をつくる』と『居場所がうまれる』という仮説は、“居場所”は入り口でもあるし、出口でもあると言えるのではないかということです。まだまだ私自身も問い続けていることではあるが、やはり“場”と“場所”の関係は整理すべき点であるでしょう」
湯浅さんとのトークセッションでは、居場所の要素としてきた「係」をケーススタディにて「お面」というメタファーで解説してくださり、新しい問いやより深く議論すべき点など、これからさらに展開できるような可能性を感じる時間となりました。
今回で「居場所の解剖学」は一旦終了となりますがすが、後半では、居場所の解体新書への助言もいただき、今後も居場所の解体新書の完成へ向け解剖と分析を引き続き行ってまいります!
2023年9月に始まったこの企画ですが、最終的には1300人を超える多くの方に関心を寄せていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
「居場所の解体新書」の完成までぜひお楽しみに!
アンケートのお願い
全9回を通して、部分ごとでも参加した方は、ぜひアンケートのご回答にご協力をお願いいたします。
▼アンケートの回答はこちら
https://forms.gle/k9VuuZQXSUMfu9jp9
〈回答期間〉
2024年9月25日(水)〜2024年10月31日(木)※延長の可能性あり
〈主催〉
社会福祉法人三股町社会福祉協議会
認定特定非営利活動法人全国こども食堂支援センター・むすびえ
〈お問い合わせ〉
全国こども食堂支援センター・むすびえ 休眠預金通常枠2022年度担当
MAIL:kyumin2022@musubie.org
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