茨城言友会21年7月度オンライン例会ダイジェスト(note版)

例会概要

開催日:21年7月18日(日)13:00~
会場:オンライン(Zoom利用)
参加者:5名

近況報告

・3DCADを快適に行うためにPCのメモリを32GBから64GBにして快適に。 筋トレの方はプロテインを飲んで効果的に行っている。筋トレの効果か酒々井アウトレットを歩いても休憩せずとも歩けるようになった。吃音状況は相変わらず、不便で相手に伝わりづらい。(とはいえ意思疎通ができるだけいいか?)

・ワクチン接種2回目が終了したので、今まで我慢していた歌の練習(個人レッスン)を再開した。体の働き、表現を今までできなかった分、それを取り戻すべく練習しているところ。間違いが(集団でやる時よりも)わかりやすいので注意が必要。

・大学での研究が採択されるかどうかが気がかり。そこから新しいことをやろうとしている。酷環境下で使えそうな感じかも? 言友会活動で言うならば、今年の言友会中部大会のゲストは正直賛否両論では?

・最近は「本格的にやろう」と意気込んで参考書やYoutubeを参考にイラストの練習をやっている。頑張れば仕事につながるかもしれない。 吃音状況に関しては、緊張感からか自動発話(広島言友会大崎氏造語)がうまくいっていない? 話す機会を増やすべきではないか。

・リハビリを行ってる。余計な筋肉が意識せずに働いているので、うまく動かないことが多い。色々と練習しながらやっていくしかない。また、50年ぶりに記憶に残る名前の旧友と電話口で再会した。 更に左手のリハビリのために今までやっていなかったエレキギターの練習を始めた。演奏以前に弦を一本引くだけでうまくいかないが、重心を支えるだけでもいい練習になるのかもしれない。

話題提供:58年前の中学校の時の体験から考える

中学1年の国語の時間、なかなか言葉が出なくなり音読ができなくなった時、教師が「努力している」と声をかけてくれた。ほんわり包まれているようなほっとした気持ちになった。それまで吃音のことではいろいろなことを言われてきた。私のために言ってくれていることは理解していたが、言われるために気分が重くなってきた。吃音を治すために私なりに努力はしたつもりだが、結果はみじめなものだった。教師の言葉は自分がそれまで言われてきた言葉とは、違ったものだった。

小中学校の頃は吃音の治療という考えが優先されがちだ。それは周囲から見れば当然のことだが、治療の対象者として見られているときの本人の気持ちは、複雑だ。周囲が治療に対して熱心になり、本人はその期待に応えるべく努力する。しかし、結果が伴わない時、むなしさと周囲に対する申し訳ない気持ちが強くなる。やがて周囲はあきらめ、本人は放置されていくように思う。
本人は周囲からいろいろ言われなくなったことで少しほっとするが、それからは孤独の中で、自身の吃音の問題をどう考え、どう生きていくかという大きな課題に取り組むことになる。そのような時、本人が孤立しないためには、周囲は本人の気持ちに寄り添ったかかわりが求められるのではないか。

私は、仕事として障害のある方やそのご家族の支援を長年行ってきた。その経験から、支援する側と支援を受ける当事者やご家族の間には、大きな壁があると感じている。その壁を無理に乗り越えようとすることには無理がある。双方がその壁を大事にしながら関係性を深めてゆくことが支援につながると考える。

話題提供2:現状は「参加者の多様性」に欠けているのでは?

言友会活動に「熱心な」メンバーしかオンライン例会に参加していないのでは? (各地オンライン例会を見るに)
現状、対面例会を維持している言友会が新規参加者が一定数いる参加者の多様性を持っていることを考えても、茨城言友会の目指す「ゆたかさ」とは対極的に硬直的になっているのではないか?
対面でできるような活動を再開でき次第、入りやすさを考慮した活動を行うべきでは?
入りやすさ・参加者の多様性がない言友会活動は現状では仕方ないとはいえ、このままでは危機的ではないか?

次回例会のお知らせ

期日:21年9月17日(日)13:00~(8月例会はお休みです)
オンライン開催(Zoom利用)
話題提供:決定次第、各媒体で発表します

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