有機農業から日本の農業を変えていく ~常陸農業協同組合 秋山 豊 組合長~Vol.1
日中は、ギラギラと輝いていた太陽が、日を追うごとに少しずつ柔らかくなり、夕暮れ時には鈴虫の声が聞こえ、涼やかな風が吹き始めています。
青々としていた稲の葉も、いつの間にか黄金色に染まり、穂が頭を垂れ始め収穫の時期を迎えました。
秋の気配が漂い始めるとともに、実りの秋が訪れています。
昨年、常陸大宮市で『ゆうき凛々』という有機ブランド米が誕生したことをご存じでしょうか?
元気が出そうな名前の有機米。この名付け親であり、昨年より有機米づくりにも取り組んでいる常陸農業協同組合(JA常陸)秋山組合長に、『ゆうき凛々』誕生秘話や農業に懸ける想いについて伺いました。
これから3回に渡ってお伝えしていきます。
VOL.1 きっかけはクラスメイトの言葉 それからずっと農業について考えています
「きっと、みんな秋山組合長のファンになっちゃうよ。」
秋山組合長を知る人は、口を揃えてそう言う。
昨年、茨城県で初めて『オーガニックビレッジ宣言』を行った常陸大宮市は、オーガニック学校給食の実現を目指している。その実現に向けて、市と連携し、子会社を中心に有機農産物の栽培に取り組んでいるのが、常陸農業協同組合(JA常陸)だ。
今年は、同市で全国オーガニック給食フォーラムの開催も決定しており、有機農産物の生産から消費までを地域全体で推進する取り組みが、さらに深化することが期待されている。
その先頭に立ち、全国を駆け回っているのが秋山組合長である。
そんなすごい方に取材できる喜びと、インタビューへの緊張が入り混じった約2時間の取材。インタビューが終わる頃には、担当はすっかり秋山組合長のファンになっていたことは最初に述べておきたい。
「ずっと野球をしていたのですが、高校1年生の時に練習で腰を悪くしてしまいましてね。そんな時、隣の席にいたクラスメイトに『農業問題をやってみたら。』と言われたのが、今の私の始まりです。」
若者が、社会問題に真剣に取り組んでいた時代。
実家が農家で、食べることにも苦労していたという秋山組合長は、大学では「農業問題研究会」というサークルを立ち上げ、『農』と名の付く、ありとあらゆることに取り組んだという。
「北海道の帯広で酪農のアルバイトをしたり、農業に関する寄稿者を訪ねたりもしました。
ある執筆家のもとに通い、『この本を読みなさい。』と言われては、農業問題や農協論に関する本を次々と渡されてね。『1ヶ月後に返しなさい。』って言われるから、一生懸命読みました。
返す時には『どう思ったか。』と聞かれて、また次の本が手渡される。それが繰り返されて・・・当時は本当に大変でした。
でも、自分なりに読みましたよ。農業経済や農村社会学、さらに民族学の本までね。
その中で、日本の農村がどういう歴史をたどり、どのようなメカニズムで成り立っているのかを学びました。面白かったですね。
あの時代に、大体のことはわかった気がします。
それに、あの頃の中央会というのは闘争の場でしたから。
全国の農業系大学が集まって論争もしました。
農業の代表的な理解には、『全般的落想層論』『大型小農論』『中小企業農論』の3つがあって、それぞれが発表した後、みんなで批判しあうんです。
『関東は危機感が足りない。』とか『いや、時代は先にいっている。』なんて言い合ってね。
話を聞いているうちに、私は東北の学生が主張する全般的落層論に傾倒していきました。『農民は闘わなければ生き残れない。』という、ゼミ長にほれ込んでしまったんです。その後、彼と一緒に旅行に行ったりもしました。」
以来、ずっと農業問題に取り組んできたという秋山組合長。そんな彼が、子会社であるJA常陸アグリサポートと共に「ゆうき凛々」を誕生させた経緯について話を伺った。