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"Head、Hand、Heart:The Struggle for Dignity and Status in the 21st Century" David Goodhart

 ジムの有酸素運動でエアロバイクをこぎながら、英語のサビ落としを目的にAudibleで聞いている本の9冊目。

 やたら出てくるのがCognitiveという単語。敷衍していえば認知力と経験的知識に基づいた学習能力みたいな感じでしょうか。

 社会的流動性を可能にする教育の役割の重要性と、実際には格差固定・拡大につながっている問題はサンデルの"The Tyranny of Merit"、"The Vanishing Middle Class"Peter Temin、"How Democracies Die" Steven Levitsky, Daniel Ziblatt、"Our Kids"Robert Putnamと米国の事例を中心に読んで(聴いて)きました。この本も学習能力による達成(Cognitive achievement)が実力主義として蔓延し、技術的(手)と社会的スキル(心)の価値を切り下げ、そうした仕事をする人々を疎外している例をイギリス社会で検証する、みたいな内容。

 例えば1976年、シェフィールドには45,000人の鉄鋼労働者と4,000人の学生がいたのですが、トニーブレアが「教育、教育、教育」という"マントラ"を唱えてから20年後の2017年には、5,000人の鉄鋼労働者と60,000人の学生の街に変わりました。教育マントラによって、オックスブリッジを中心とした権威的な大学を排他的なエリートたちだけのものから、50%が学位を持てるるように変えたわけです。卒業生数の増加は学位に付随する経済的プレミアムを低下させるとともに、現在、求人の40%が学位を要求するようになったそうです。

 にしても「エデュケーション・マントラ」という言葉には苦笑しました。アメリカ人、イギリス人、そしてヨーロッパ人の夢は、大学に行って専門職に就くという狭すぎるものになっている、と。

 しかし、この過程の中で進んだのは賃金の停滞と、知識労働とみなされない仕事の士気をくじくような地位の下降でもあった、と。

 結果、オックスブリッジ以外の英国の大学は、低い役に立たない学位を与えるだけで、学生は債務に苦み、雇用主からはベンチマークとして活用されるぐらいになってしまった、と。こうした改革以前、学位は並外れた認知能力や文化的特権を意味していましたが、それが標準的にとれる資格となると、かつての機能を失うばかりではなく、職業訓練への投資も減らされていきます。

 バスと長距離バスの運転手の時給は、1975年以来22%上昇したが、広告および広報マネージャーの時給は111%上昇したという例を示した後の、グッドハートの「マネージャーの仕事は、バスの運転手や介護福祉士よりも役立つと本当に主張できますか?」という問いは、Bullshit Jobと通底しています。尊厳のある高齢者の飲食を助け、入浴させ、認知症の人とコミュニケーションを賢明な優しさで行うには、上質なスキルが必要なのに、と。ちなみに、こうした介護職や看護師などはピンク・カラー・ワーカーという言葉で呼ばれるようになっているみたいです(寡聞にして知りませんでした)。

 こうした全体的な傾向は自己陶酔的なリベラルな政策立案者によって形づくられたわけですが、大学に行かない人々への心理的影響または経済地理学への影響についてはほとんど考えられなかった、と。グッドハートは前の本でも大都市の大卒リートがリベラルな世界観を押しつけたことが、ブレグジットの反発を引き起こしたと主張しているようですが、こうした考え方はサンデル、パットナムなどと似ています。

 一方、大陸のヨーロッパでは「実用的な職業知能」と「基本的な仕事」をしている人々への敬意を維持できていて、それは教育制度によるものだ、としています。しかし、こうしたシステムの再調整には時間がかかりそうです。資格と官僚主義への依存の過剰がいかに不必要な労働につながったか、という見方も可能かな、と。

 終わり間際の「コンピュータのハード、ソフト開発に携わる就業人口の割合は現在でも4%」というのは聞き違いかな?

 著者はプロスペクト誌の創設者で、現在は中道左派のシンクタンクにつとめているみたいです。

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