見出し画像

『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の影の主人公がトラック労組委員長のジミーだったわけ

雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』を見て、セルジオ・レオーネ監督の原作映画の謎が個人的に解け、この作品はユダヤ人ギャング団の話しではなく、もっと大きな全米トラック運転手組合(Teamsters)の話しだったんだ、と勝手に理解しました。John Rogers Commonsの米国労働史の資料などを雑に読みながら、日本の港湾労働と893の関係と同じというか、日本の893映画も実は港湾労働や炭鉱労働などの現場を背景に描かれているのと似ているんだろうな、とも感じました。

チームスター(Teamsters)は1903年に発足した全米最大手の労働組合のひとつで、Teamsterは元々、荷車の御者の意。正式名称、International Brotherhood of Teamsters(IBT)でインターナショナルが付いていますが、腐敗した組織としてチームスターと並んで有名な国際港湾労働者協会(ILA)もインターナショナル付き。なんかあるんでしょうか。

創生期のチームスターは米国労働史においては、ほとんど犯罪集団と位置づけられていますが、やがてルーズベルト大統領が大会で演説するほどの組織に発展します。

そんな中でも暴力沙汰は絶えず、さらには二代続けての汚職による会長辞任でAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)からチームスターは除名されるほど。その後に就任したのが『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』で労組委員長のジミーのモデルとなるジミー・ホッファ。

ホッファの前会長は全ての輸送網を傘下におさめようとして港湾労働者労組のILAを襲撃したりしましたが、ホッファは逆に資金援助したりするなど政治的な動きを示します。しかし、ソフト的な対応だけでなく、禁酒法時代に最も儲かったアルコール輸送を製造元から抑えるため醸造所労働組合も合併しようとして、反対派を襲撃したりするモンスターぶりもみせます。

あまりにも襲撃事件が頻発したことからAFL-CIOは襲撃禁止の協定を結ばせることに(893の手打ちか…)。

ホッファは均一労働条件のマスター契約を拡大するなど、労働者の権利拡大と組織拡大に成功しますが、50-60年代のラスベガス開発期(映画『ゴッドファーザー』の背景)にマフィアへの資金援助を行い、これが致命傷となり、Netflixの『アイリッシュマン』で描かれているようにマフィアによって殺されたと推定されます。

日本でもY組のT岡組長が「日本は貿易で生きていくしかない。その貿易の貨物を船舶から港湾倉庫まで運ぶ港湾労働者を抑えれば、大きな力が生まれるとともに、最悪だった港湾労働者の労働条件も改善される(←これ重要)」と考え、港湾に食いこんでいったのと似ているでしょうか(日本の場合、陸上の長距離輸送は国鉄が1960年代まで握っていたため、トラックは大きなファクターにはなりえませんでした)。

宝塚版の『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』では主人公ヌードルスの父が港湾ストで殺されたという設定を加えられます。さらにギャング仲間で最後には商務長官となるマックスにも「親父は病院で狂い死にしたんだ」という映画にもなかった説明が効いて、狂ったような計画を立てて実行するものの、最後はより大きなモンスターの餌食になるという流れもスムース。

映画では、なんでマックスだけ助かったか、その理由と顛末は説明されてないというか、全部、マックスが仕組んだこと、みたいな感じになっていて「さすがにその設定は無理があるんじゃ」という批判もありました。映画は最後、ヌードルスが阿片窟で高笑いして強引に終わるんですが、マックスがたまたま生き残って労組委員長のジミーに助けを求めたという宝塚流の方がスッキリします。大やけどを治療するために、労災事故で死んだものの、親類縁者がなかったために放っておかれた組合員の名前で保険証をつくるという下りは、古い言い方をすればアトム化した労働者という存在を意識させてくれます。そこには東欧からのユダヤ系移民という出自による共同体もないわけで、そんな拠り所を持たない労働者の集まりである組合を仕切るジミーはどこか甘いところもあったマックスたちより一枚上手なわけです。

ジミーにはラスボス感が増し、アメリカに徒手空拳で立ち向かったユダヤ人ギャングは破滅したけど、ニューディールの波に乗って合法的な労組という新しい組織を立ち上げた者が勝つというか、新しい体制になる、というのは映画より、よほど素晴らしいオチ。

そしてギャングが破滅するキッカケとなった禁酒法廃止と労働者の権利拡大を進めたニーディール政策をともに決めたのはチームスターの大会で挨拶までしたルーズベルトでした。ギャングたちは禁酒法を逆手にとってのし上がるけど、ルーズベルトが禁酒法を取りやめたら、途端に行き場を失うわけです。

映画では、なぜレオーネが途中で組合のボスを出したか分からなかったのですが、舞台ではルーズベルトが強調されており、それを補助線として意識すると、ニューディールでのし上がる民主党支持の労働組合と禁酒法撤廃で破滅するギャングを対照的に描きたかったかったからなんだろうな、と。といいますか、義兄弟のように描かれるヌードルスとマックスの役は二人で一人のジミー・ホッファそのものなのかも。実際のホッファも組合員拡大のため、暴力沙汰は厭わず、対立組織に爆弾投げ込んだりしてたから、歴史上のジミー・ホッファの表の顔がジミーで、裏の顔がマックスなのかも…でも組合モノではヒットしないから、ギャングモノにしたんだろうなレオーネは。

そして底辺の人々は、左派的政策でも、やはり救われない部分があるじゃない、という悲しみなんだろうな、と。それはワンスアポンアタイムインアメリカじゃなくて、今もなんだよ、みたいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?