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『初期室町幕府研究の最前線 ここまでわかった南北朝期の幕府体制』日本史史料研究会監修・亀田俊和編、歴史新書y

 残念ながらヘイト本なども出すようになってしまった、かつてのサブカルの雄、宝島社に買収されることになり、歴史新書yはいったん姿を消すことになりますが、日本史史料研究会によると別の版元からの再版も検討されているようでホッとしています。

 ぼくは共通一次で世界史と日本史を選択していたんですが、その頃の中世史というか鎌倉幕府滅亡から織豊政権までの期間は、足利幕府の成立と義満の時代、義政と応仁の乱ぐらいしかないようなイメージでした。その頃から、今に伝わる文化・習慣などはほとんど室町時代が紀元となっているということは言われていましたが、一般の読書人が手に入る良質な歴史書や資料も少なく(ということは、そうしたものを元に二次創作する歴史小説も少なく)、暗黒時代というイメージでした。その後、網野善彦先生の著書などは面白く読ませてはもらいましたが、ニッチな対象を無理矢理拡大したような印象といいますか、全体像がクッキリつかめなかったかな、と。

 ですから、最近の呉座勇一先生と亀田俊和先生の新書でようやくコンパクトに知識を広げてもらえたという感じです(個人的には岩波の全集でわけも分からず読んでいたヘーゲルの著作が長谷川宏訳でようやく分かった感じに似ています)。

 その亀田・観応の擾乱・俊和先生が中心となってまとめられたのが『初期室町幕府研究の最前線』。

 目次をみれば、内容も自ずからわかる、という編集方針なので、いつものように面白かったところを箇条書きで。

 新田義貞・北畠顕家らに敗れた足利尊氏が九州への下向を決めたと伝わる室津会議では、敗軍の将から将兵が去っていく中で最後まで従ったり、しんがりで戦ってくれるのは一門だろうというというリアルな考えを元に、一門大将を外様の守護に派遣した、と佐藤進一以来の通説を批判するあたりからスリリング(p.35)。

 「中世文書の当事者主義」は中世史研究者の常識、というあたりも単なる本好きにはありがたい指摘(p.40)。

 室町幕府の安定期に斯波、畠山、細川、一色、山名など足利一門以外に在京して幕政に参画しているのは赤松、京極、土岐という指摘もなるほどな、と(p.43)

 朝幕関係の研究史は国家論と密接に関わりながら進展というあたりも(p.62)。

 義満の公家化が進んだのは、南北朝の混乱の中で践祚した北朝の後光厳天皇を支えていくため、というのも分かりやすい(p.72)。これに関連して、最近の研究では、北朝が能動的に将軍を公家社会に引き入れて権力基盤の強化を図った側面が注目を集めている、と(p.115)。また、義満にも守護との差別化を図るという目的があった、とも(p.177)。

 室町幕府は九州統治に苦労し、直冬や島津氏に暴れられたりして、最終的には実質的な統治を諦めるんですが、複雑すぎるその過程を描く『鎮西管領・九州探題-九州統治に苦戦した初期室町幕府の対応とは?』は最高に面白かったです。『中世島津氏研究の最前線』が早く別の版元から再出版されることを望みます。

 南北朝時代は朱元璋が明を建てた時代と重なりますが、それは倭寇の活動が活発だった時期でもあって、そんな大切な時期に九州には南朝の懐良親王が支配していて、日中の外交が混乱するんだな、と(p.190-)。

 義満は北山殿(金閣寺)に隠居して政治を操るんですが、御賀丸の居所もつくり、愛童をきっちり侍らせたりフリーダムだな、と(p.204。出家していたので衆道か)。子どもの義持や義教もハンサムな家系の赤松家の男を愛しまくっているし、欲望に忠実な一族なのかも。

 それにしても日野業子、富子など娘が足利将軍家の正室になりまくっている日野家は義教に弾圧されたりしたけど、徳川家の家臣になったりして生き延びたり、一族から親鸞を出したり面白い一家だな、と。もっといえば、足利将軍家は日野家から正妻を娶り、赤松家から愛童を抱えるというか。室津会議では赤松則村の勧めに従って九州への下向を決めたと言われるけど、赤松家は美男の家系だったんでしょうか。

[目次]

はじめに─なぜ今、草創期の室町幕府なのか?

第一部 初期室町幕府の政治体制
軽視されてきた軍事史研究-初期室町幕府には、確固たる軍事制度があったか?
主従制的支配権と統治権的支配権-足利尊氏・直義の「二頭政治論」を再検討する
南北朝初期の公武関係-直義・義詮が担った北朝と初期室町幕府との関係とは?
二つの有力被官一族-高一族と上杉一族、その存亡を分けた理由とは?)

第二部 有力守護および地方統治機関
初期室町幕府と幕政改革-脚光を浴びつつある「観応の擾乱」以降の幕府政治
三管領の研究史-研究対象は、細川・畠山・斯波氏だけでいいのか?
室町幕府と鎌倉公方-幕府は、鎌倉府・東国社会をいかに制御しようとしたのか?
鎮西管領・九州探題-九州統治に苦戦した初期室町幕府の対応とは?

第三部 室町殿・足利義満の位置づけ
室町殿の研究史-過大に評価されがちな「義満権力」を再検討する
義満と東アジアの国際情勢-「日本国王」号と倭寇をめぐる明皇帝の思惑とは?
「北山殿」としての義満-義満はなぜ京都西郊に「北山殿」を造営したのか?

第四部 初期室町幕府の寺院・宗教政策
初期室町幕府と禅律方-禅院・律院を体制仏教の中心とした幕府の宗教政策
室町将軍家の菩提寺ー室町仏教を代表する官寺、相国寺創建の意義とは?
義満と護持僧たち-初期室町幕府の「武家祈祷体制」を検証する

あとがき

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