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『スペイン史10講』立石博高

『スペイン史10講』立石博高、岩波新書

 月組公演『ELPIDIO(エルピディイオ)』は20世紀初頭のマドリードを舞台にしているということで、岩波ジュニア新書の『情熱でたどるスペイン史』池上俊一を読んだんですが、さらに少し詳しく、ということで十講シリーズの近現代のあたり(8-10講)もおさらいしてみました。

 大きくとらえるとフランス革命とナポレオンによる征服などを経て王権はゆらぎ、スペイン国内は伝統主義と自由主義に分断され、フランコまで続くプロヌンシアミエント(軍事蜂起)の時代となる、といいます。

 1875年にイギリスから戻ったアルフォンソ12世はカノバスに王政復古体制の体制づくりを委ね、カノバスは保守党を結成。自由主義者はサガスタの元に自由党を結成。1910年代までカシーケ(大土地所有者のボス)が仕切る二大政党制を実現しますが、反体制派は排除されました。

 一定程度、王政は安定しますが、1898年の米西戦争に敗れてキューバ、プエルトリコ、グアム、フィリピンの植民地を一気に喪失。国内ではカタルーニャ、バスク、ガリシアなどで地域ナショナリズムが高まります。

 第一次世界大戦は中立を維持しましたが、バルセロナでは労働争議が檄化、23年にかけて「銃撃の時代」を迎え、アンダルシアでは1918-20年に「ボルシェビキの三年間」を迎えたほど。こうした混乱の中、1923年にプリモ・デ・リベーラがクーデターを起こし、モロッコの反乱も毒ガス投下などで鎮静化させます(この毒ガスは第一次大戦期からのドイツ軍の協力によるものでした『シリーズ歴史総合を学ぶ1 世界史の考え方』岩波新書、p.250)。しかし、軍内部のアフリカ派と本土派の対立を解決できず30年1月に辞任。31年にはアルフォンソ13世は退位、スペインを離れます。

 1931年にはマドリーでサモラを首班とする革命委員会が第二共和制政府を組織。カタルーニャも独立宣言しますが、自治政府で妥協。民衆は修道院などの宗教施設を焼き打ちし、保守派は反感を募らせますが、選挙では共和主義者と社会主義者が過半数を占め、進歩的な新憲法を可決。サモーラは大統領となり、33年までアサーニャ首相による「改革の二年間」で諸改革がすすめられますが、右派は反発、左派は失望。左右対立の治安悪化で辞任した後の選挙では右派が勝利。この「暗黒の二年間」で政権を離れた左派は急進化。街頭での対立が繰り返されます。

 36年の総選挙では人民戦線がわずかに勝利、再びアサーニャが組閣するもサモーラ大統領が解任され、政治家400人が暗殺されるなど混乱。地方に左遷させられていた右派軍人はクーデターを準備。反乱はモロッコで開始され、内戦に突入。

 内戦では両陣営とも支配地域で「パセオ」(散歩)、「サカ」(引きずり出し)と呼ばれる逮捕と銃殺が横行。6800人以上の聖職者を含む50万人が犠牲者に。さらにカタルーニャでは「内戦中の内戦」と呼ばれるバルセロナ五月事件が発生(宙組公演『Never Say Goodbye』で描かれていました *1)。革命実現を優先するPOUM(反スターリン主義の共産党)は非合法化されますが、内戦継続を唱える親ソ派のネグリンは国際的にも孤立。共和国陣営の敗北は不可避となり、無条件降伏。フランコが元首となります。

 フランコはプリモ・デ・リベーラの息子が組織したファランヘ党と王党派を合体させた「新ファランヘ党」の党首、陸海空軍の総司令官も兼ねた独裁者に。第二次大戦は国土疲弊のため不参加、中立を宣言しますが、独ソ戦では義勇兵団「青い師団」を派遣。連合国側が優位になると中立に復帰しますがファシスト、ナチスが敗北で国際的孤立は高まり、それは戦後もしばらく続くことになります(ちなみに、IOC会長のブランデージはヒトラーの、サマランチはフランコの熱心な支持者でした)。

*1  スペイン内戦の中で発生したバルセロナの内ゲバは複雑ですが、主要なプレーヤーはPSUC、POUM、CNTです。

PSUC (Partido Socialista Unificado de Cataluna) はカタルーニャの統一社会党。労働組合である UGT (Union General de Trabajadores) の政治機関で、コミンテルンに所属していたスターリン主義者の集まり。

POUM (Partido Obrero de Unificacion Marxista) は、反スターリン主義の共産党。議会制民主主義を志向。「労働者が軍隊を支配しなければ、軍隊が労働者を支配する。戦争と革命は不可分である」とジョージ・オーウェルが『カタロニア賛歌』で書いていたみたいなことを目指していた理想主義的なグループ。

アナキスト系の労働国民連合であるCNT(Confederacion Nacional de Trabajadores)は労働者の管理を目指し、工場接収を熱心に進めた。やがて戦争に勝つことに集中したいアナキスト閣僚と、何よりも革命の勝利に夢中になったアナキストの若者との間にギャップが開いた、みたいな。

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