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『傾城反魂香』またはコンプライアンスを語る正義への抗議

六月大歌舞伎『傾城反魂香』を見物してきました。

市川中車いや香川照之が、自身の受けた不当な扱い(和解した案件を蒸し返されての文春砲)、これから猿之助が受けようとしている非道な仕打ちの予感に打ちのめされかのように「死にたい、死にたい、死にたい」と三度叫ぶ芝居は、近年の木挽町でも圧巻。

上司が部下を一面的に評価し、気に入らない社員にはパワハラ、女性にはセクハラを繰り返す。そして痛めつけられた部下は家庭でDVに走るという400年後の今も変わらない人の世の真姿を見せてくれる近松は天才。

まるで市川中車=香川照之と猿之助に当て書きしたの?と思えるような内容だとも感じる。時代を超越しています。

中車も暗い嫉妬に突き上げられた感情を「正義」に名を借りたコンプライアンスで潰される役者の今を見事に演じきりました。中車が初めて浄瑠璃に乗って…なんていう表面的な感想も散見されますが、何を観ているのかな?

中車は何をやっても香川照之。踊りも硬いし、顔で誤魔化してる。でも、自身に降りかかった不条理な体験、従兄弟でもある猿之助の不幸を背負っているから、全身で「死にたい」と叫び、女房を道連れにして自殺しようとする現実とリンクしたような芝居を見事に演じきりました。

この舞台は綺麗事のコンプライアンスを痛烈に批判した魂の舞台なのかもしれません。

だいたい近松の脚本自体も吃音への差別、パワハラ、セクハラ全開で自殺幇助から女性へのDVも炸裂と近代の倫理からは程遠いめちゃくちゃな内容。でも、その中には生きている人間の真実が見えてくるんだよね、というのが伝わってくる。

それを感じられず綺麗事だけ言ってるようなのは舞台など観ない方が良いし、芸術も語るな、みたい。


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