『網野善彦を継ぐ』中沢新一、赤坂憲雄

 『蒙古襲来』『無縁・公界・楽』などの著作に触れる前に、この対談も書いておこうかな、と。

『網野善彦を継ぐ』中沢新一、赤坂憲雄

 網野さんは学問を大衆に開いていた学者さんだったと思いますが、その特徴は、やはり処女作である『蒙古襲来』に出ていて、「いかんともなしがたい、えたいの知れない力」が歴史には強烈に働いているという主張だと思います。

 しかし、多くの人たちが網野さんの著作に触れたのは、『異形の王権』ではないでしょうか。その後は専門の中世史というよりも『日本社会の歴史』『日本とは何か 日本の歴史〈00〉』のような通史の方向も多く、ややイデオロギッシュな感じも受けます。それにしても、いくら飛礫(つぶて)からインスパアを受けたとしても「いかんともなしがたい、えたいの知れない力」から描き始めるのですから、この本でも甥である中沢さんに「君は楽でいい」と言っていたということが語られているのですが、その気持ちはなんとなくわかります。

 そして、そうしたことを歴史学という学問の中で証明するのは大変だったから、本流の人たちからは攻撃されたんだろうな、と。そしてイコロジーの応用なんかも単なる流行モノというのでなく、テキストでは証明できなかったからこそ、求めた手法なんだと改めて思いました。

 天皇制論に関しては、『異形の王権』の後醍醐天皇が悪党どもを集めて権力奪取に成功したことなど「原始的な力」「アフリカ的段階の力」の活用方法を知っていたとしてたら、天皇制の到達している根の深さは、思った以上に深い、という指摘は中沢さんの仕事からもうなづけたな、と。

 中国文学者の竹内実さんによる「一木一草に天皇制がある(『権力と芸術』、1958年4月)という言葉を思い出してしまうのですが、アジールまでも保護してしまうような、それぐらい深い浸透力を持った権力なのかもしれない。

 その一方で天皇制と差別という問題が、本当に深刻なリアリティを持つのは西日本ではないかという指摘(p.87)も納得的。中沢さん、赤坂さんの進めている「東北学」からすれば、シベリアから北半球を覆っているような旧石器時代からの文化は歴史的にも天皇制が十分、崩せなかったからだ、というのも含めて。

 赤坂さんがまだ若い頃、吉本隆明さんと天皇制論で対談したとき、吉本さんから「問題の立て方がなっていない」みたいな感じで強烈に怒られた対談があったんですが、東北に軸足を置けばその時の赤坂さんの「そこまでリアリティは実はないんだ」という感じが、初めてよくわかったような気がしました。

 このほか、社会を流動させる集団の要素などを論じた部分で、共同体をつくりたいという欲求と、それを離散させる意識が常に都市の周辺にはあって、そうしたせめぎあいが今でも続いていることは、少年犯罪が現在でも都市の周辺で発生しているという指摘も面白かったな、と(pp.107-108)。

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