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『ソクラテスの弁明』プラトン、納富信留訳、光文社古典新訳文庫

 『饗宴』『プロタゴラス』がよかったので引き続き、光文社古典新訳文庫のプラトンを読んでいます。もう、今年の夏はプラトンを読み直す夏でいいかな、と。

 ソクラテスの弁明は「人間たちよ、ソクラテスのように、知恵という点では真実にはなににも値しないと認識している者が、お前たちのうちでもっとも知恵ある者なのだ」という宣託に関するものが核。解説では《この言葉を聞いたソクラテスの最初の反応は、次のような思いであった。「神は、一体何をおっしゃっているのだろう。何の謎かけをしておられるのだろう。私は、知恵ある者であるとは、自分ですこしも意識していないのだから。」(二一B)「意識する」と訳したギリシア語“synoida”は、「~と共に知る」という語義に由来する動詞で、ここでは「私自身と」という語句を伴っている。この語は、ラテン語の“conscientia”をへて、近代語の「意識、良心」“consciousness,conscience”という概念に発展する》。

 《犬に誓って申しますが》というあたりの言いまわし、マルコ7:28の「食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」を思い出す。《もし神霊が、ニンフから、あるいは、言い伝えにある他のなにものかから神がもうけた子だったら、どうだろう。神の子供が存在すると考えているのに、神が存在しないと、どんな人間が考えるだろうか》というあたりも、新プラトン主義のキリスト教神学との親和性がほのかに感じられるところなのかな。

 プラトンの対話編では《兄弟がこの営みに従事していた人たちがいます。テオゾティデスの子ニコストラトスは、テオドトスの兄です。そのテオドトスは亡くなっているので、兄に口止めの依頼をすることもできません》など兄弟がよく出てきますが、新訳でも兄弟はよく出てくるな、とか。

《死を恐れるということは、皆さん、知恵がないのにあると思いこむことに他ならないからです。それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから》というあたりは、ヘーゲルの死は認識できないのだから不安になることはないあたりに影響を与えてるんだろうな。さらには《ナザレのイエスが十字架に掛けられたことにより「キリスト教」が成立し、彼の教えが全世界に広まったように、ソクラテスの裁判とが「哲学」の意味を開示し、その営みを継承する人々によって西洋の哲学が成立して、今や日本をふくむ全世界で人々は哲学に従事しようとしているのである。彼の予言は、遺されたすべての人間へのメッセージとなった》という解説にもつながっていくのかも。

《真実を語っても、どうか私に怒りを向けないでください。皆さんや民衆に対して正当に異議を唱え、ポリスで多くの不正や違法行為が生じるのを阻止して生き残ることができるような人間は、だれもいないのです。いやむしろ、本当に正義のために戦う人は、もし短時間でも生き残りたければ、公人としてではなく私人として活動する必要があるのです》あたりは現代にも通じる感じ。


《知恵があると思っているが実際はそうでない人々が吟味されるのを、彼らは聞いて喜んでいるのです。実際》というあたりはSNSの世界も同じだな、と。

《あなた方は、私が空とぼけていると考えて、私の言うことを信じはしないでしょうから》←空とぼけ=エイロウネイア(ειρωνεια)はイロニー。新約には出てこない単語。ソクラテスの問答法は無知を装いながら、知者を自認する相手と問答を重ね、かえって相手が無知であることをあらわにし、その知識が見せかけのものでしかなかったことを悟らせる、というメソッドですから、新約のイエス的問答では使えないのかな。解説では《「空とぼけ」(エイローネイア)はしばしばソクラテスに帰される性格であり、「本当は知っているのに、知らない振りをする」といった意味である。ただ、この性格づけはソクラテスの敵対者から言われるのがほとんどであり、真相を理解しない者の側の言い訳となっていた》としています。さらに《論敵がしばしばソクラテスに帰す「空とぼけ(エイローネイア)」という性格も、「本来は知っているのに、知らない振りをすること」を意味する以上、彼に対する完全な誤解なのである》とも。

《私はもう人間がとりわけ予言を行う時、すなわち、まさに死んでゆく時にあるのですから》というのは有名な死の予言。解説では《古代では、死を前にした人には予言の能力があると信じられてきた。ホメロス『イリアス』でパトロクロス(第一六巻八五一行以降)やヘクトル(第二二巻三五八行以降)がそういった予言を語り、プラトン『パイドン』八四E~八五Bで、ソクラテスは「白鳥の歌」と呼ばれる言説を語っている》としています。

.....以下は訳注あるいは解説からの引用.........

「認識している」と訳した“egnoken”は、この前後の文脈で使われる「知る」とは異なる動詞である(解説)

ソクラテスはここで「存在する」(エイナイ)という語を付け加えることにより、「神々を信じる」という内実を追究していく(解説)

写本に基づいてバーネット版が印刷していた否定辞“ou”を、オクスフォード古典叢書新版等は、意味が取りにくいという理由で削除している。後者に従う(解説)

ソクラテスが〈前置き〉で強調するのは、語り手の徳(アレテー)が「真実を語ること」にあるという点である。「徳」(アレテー)とは、その者の本領が発揮される優れたあり方である。

当時の知識人への漠然とした疑念や嫌悪がある。知識人にはおもに、新たな知の潮流をなした自然哲学者と、当時のアテナイで人気を博したソフィストが含まれる。ソクラテスは自分の営為をそれらの「知者」から区別をしながら、本当の「知恵」とは何かを明らかにしていく。

アリストファネスの『雲』でソクラテスが学校「思索所(フロンティステーリオン)」で教えるのは、「邪論(弱論)」で「正論(強論)」を打ち負かすそのような技術であった。

知恵ある者であるとは、自分ですこしも意識していない」ソクラテスは、「神」のこの言葉にさえも一旦疑いの目を向けて、徹底的な吟味を開始する(二一B)。つまり、神託を「謎かけ」として受け取り、自他吟味の探求を始めたのである。これが、ソクラテスの哲学──知を愛し求める営み(フィロソフィアー)──の原点である。

私たちの日常では、なんとなくそう思ったり、それなりの確信があったりする時にも、「知っている」という認定をすることがある。しかし、厳密に言えば、「知る」とは、明確な根拠をもって真理を把握しているあり方を指し、「知っている者」は、その内容や原因を体系的に説明できなければならない。

日常ではあまり重要とは思われない、この「知る/思う」の明確な区別こそ、「知を愛し求める」(フィロソフェイン)営みとしての「哲学」の出発点となる。

ソクラテスはその人たちに共通の誤解があることを発見する。彼らは、本当は大切なことを知らないにも関わらず、地位や評判や技量によって自分こそ知恵ある者だと思いこんでいる。この「無知」(アマティアー)、つまり「知らないこと」(不知、アグノイア)を自覚していない状態こそが、最悪の恥ずべきあり方であった(

罪状は「ポリスの信ずる神々を信じない」こと、つまり「不敬神」(アセベイア)に向けられている。古代ギリシア社会において「神を敬わないこと」が重い罪にあたるのは、ポリスが祀る神々の加護のもとでポリスに繁栄がもたらされると信じられていたからであり、逆に、ポリス成員の不敬な行動や穢れは、ポリス共同体に大きな災悪をもたらすとされていた。古代の宗教とは、個人の内面や信条を問題にするのではなく、共同体の祭祀や行動規範に関わるものであった

ポリスの内乱を終息させる「恩赦」によって「既往は問わない」ことになっていた。民主派に与してクリティアスと戦ったアニュトスらは、ソクラテスと彼ら反民主的政治家との関わりを糾弾したかったのであろうが、公式にはそれは許されていなかったのである。

ソクラテスがメレトス相手に行う尋問は、彼が通常の哲学議論で用いている「対話」(ディアロゴス)の形式を採る。そういった対話でのやり取りは、一方的な長い弁論とは異なり、共に吟味することで真理を明らかにするのに適しているという(『ゴルギアス』篇

尋問では、ソクラテスは得意な「論駁」(エレンコス)の方法も用いている。その方法では、まず相手に自分のテーゼ(立論)を語らせて、その後質問をつづけていくつかの前提を認めさせる。それらの前提から論理的に帰結する命題が当初のテーゼと矛盾していることを示すことで、相手を論駁するのである。

「恥ずかしく思う」(aiskhynomai)という心理上の表現は、「醜い」(aiskhron)という価値判断の語と同根であり、後者の語は「恥」とも訳される。「醜い」の対義語は「美しい、立派」(kalon)である。美醜はまずは見かけの好ましさに関わり、愛求や嫌悪といった反応を惹き起こす。「美しい、立派」は、人の外面だけでなく行為や人生にも用いられ、私たちに見本を提供して自身の生き方を形づくる基本語となる。他方で、「醜い、みっともない」と感じるから、「恥ずかしい」のである。

そして、ソクラテスがもっとも厳しく批判するのは、「恥ずべき無知」、つまり「知らないものを知っていると思っている」状態であった(二九B)。実際、本当はよく知らないのに、知ったか振りをして自惚れる姿ほど醜悪なものはない。

すると、「魂への配慮」を怠るというみっともない状態にありながら、そのことに気づいていない「恥」こそが、最大の醜態ということになる。

わたしたちがしがみついているのは、結局「肉体」(ソーマ)であり「物」(ソーマ)ではないか。それに対して、真に配慮すべきなのは、思慮が働き真理が求められる場、つまり「魂」(プシュケー)とでも呼ぶべき地平ではないか。

「ポリス」とは、大きくて数万人の市民からなる、都市や領域の小国家であり、古代ギリシアに特有の政治単位であった。プラトンやアリストテレスは、この「ポリス」を人間生活の基本として、善きポリスを構築する「政治学」(ポリティカ)を打ち立てていった。

第一部の「環構造(リング・コンポジション)」を成している。

ミノタウロス殺しに由来するアポロン神への祭祀のため、毎年デロス島に派遣する船に儀礼の飾りを付けた時から帰還するまでの期間には、一切の不浄がなされてはならない決まりになっていたからである。その間、公的な処刑もすべて回避されていた。それゆえ、死刑までの一ヶ月の間、ソクラテスは牢獄で過ごすことになるが、そのことをこの時点で知る由もない(牢獄でのありさまは、『クリトン』、『パイドン』篇で描かれる)。

ギリシアにおいては文学でよく描かれていた。ここでは、無論、著者プラトンが後の事態を見据えて書いていることも推測される。

ソクラテスの仲間たちはソクラテス対話篇を競って著し、計二百冊、三百篇におよぶ作品が著されたと推定されている。それは前四世紀前半に「ソクラテス文学」と呼ばれるジャンルを成す

より自由で有意義な対話を交わすためには、特別な場面を設けて、ルールに則って議論するのがより適当ではないか。なによりもそうしてこそ、論者の自由と安全が保証され、結果としてより真理に近づけるはずなのである。こうして創られた対話の空間が「学園アカデメイア」であった。

プラトンの「対話篇」は、おそらく学園アカデメイアやエジプトのアレクサンドリア図書館等で保存、伝承され、やがて後一世紀頃にトラシュロスという学者によって 編纂 され、九つの「四部作」にまとめられて「プラトン著作集」( Corpus Platonicum)となった。そこには、一三通の『書簡』を一まとまりに数えて、計三六の作品が収められている。今日でもプラトン全集が編集される時には、基本的にその配列が踏襲されている

プラトンが生前に執筆したと記録されている作品は、現代にまで すべて が伝承されており、さらに、プラトン以外の作家の作品(「偽作」)も「プラトン著作集」に入っていることになる。これは、古典期の著者としては奇跡とも言うべき伝承状況であり、歴史におけるプラトンの影響力の大きさ

著作の成立と普及には不明な点が多いが、おそらくプラトン自身が最初「蝋板」に書いた文書がパピルスに書き写されて、それが 巻子本 として流布したのであろう。パピルスの巻物は、巻き取りながら何度も読まれることで摩耗したり破損したりするため、一定の期間のうちに新たに書き写されなければならない。そうして数世紀にわたって伝承されたパピルス巻子本は、紀元後には羊皮紙などに書き写され、新たに書物として伝承

新プラトン主義者たちは、プラトン哲学を学ぶ教程として、一二の対話篇を入門から奥義まで並べて、その順で読んでいた。その頂点には『ティマイオス』と『パルメニデス』の二篇が置かれていた(著者不明『プラトン哲学序説』等

プラトンの著述に経年的な変化があることを示す研究がつづけられ、この「文体統計学」の手法は一定の成果を収めた。それは、『ソフィスト』、『政治家(ポリティコス)』、『ピレボス』、『ティマイオス』、『クリティアス』〔未完〕、『法律』という六つの著作が、他とは明瞭な文体的相違を示し、「後期対話篇」というグループを成す

「初期対話篇」とされるのは、ソクラテスが対話相手に「徳」について「何であるか」の問いを投げかけ、吟味探求の末に行き詰まり(アポリアー)に終る対話篇

登場人物ソクラテスの口から積極的な考えが提示され、とりわけ「イデア論」と呼ばれる学説が登場する対話篇が、「中期」とされる。そこでは、ソクラテスというより著者プラトン自身の思想が語られている、と 看做されている。「中期対話篇」には、『饗宴』、『パイドン』、『ポリテイア』、『パイドロス』といった代表的哲学著作が属し、多くは報告や伝達という「間接対話篇」の形式による凝った文学形式をもち、壮大なミュートス──論証でない、神話の語りで、死後や天上の様子を描く──

近代日本ではすでに一世紀以上にわたって、自らの言葉でプラトンを読みそこから哲学の思索を展開する、十分な環境が整っていると

『金銭から徳は生じないが、徳にもとづいて金銭や他のものはすべて、個人的にも公共的にも、人間にとって善きものとなるのだ』

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