『シリーズ 中国近現代史 1 清朝と近代世界 19世紀』吉澤誠一郎、岩波新書

 シリーズは全6巻で、近代国家への模索(1894-1925)、革命とナショナリズム(1925-1945)、社会主義への挑戦(1945-1971)、開発主義の時代へ(1972-2010)、中国近現代史をどうみるか、と続きます。その1巻は19世紀を扱った『清朝と近代世界』がこれ。

 清朝というと、あとがきでも書かれているように《外国の侵略に対して何らなすすべもなかった腐敗堕落した王朝》という印象でしたが、一読、18世紀に起こった人口の急激な増加に起因した数々の内乱に対処しつつ、近代化をめざしたものの、力及ばずして倒れた悲運の王朝というイメージに変わりました。

 版図が最大規模となった乾隆帝(在位:1735 年 - 1795年)。それを継いだ嘉慶帝(在位:1796年 - 1820年)の時代には「乾嘉の学」と呼ばれる考証学も盛んになり、白蓮教徒の叛乱はありましたが、まだ安定していました。

 嘉慶帝はあまり良く知りませんでしたが、『己を罪する詔』や詩集からも、生真面目に政務に取り組んでいる姿がうかがえて、好感を持ちました。しかし、17世紀末に1億人台だった人口は乾隆帝の末期にあたる18世紀末には3億人、19世紀には4億人を超えます。こうした人口増に耕作地拡大が追いつかず、民衆の生活が苦しくなってきたところで白蓮教徒の乱や海賊の横行が重なります。政府軍の満州八旗も弱体化。道光帝(在位:1820年 - 1850年)は制度疲労を起こした統治機構を引き継がなければならなくなります。

 そこに遠くからイギリスにおける資本主義の発達という大きな波が押し寄せます。自由すぎる経済を唱えるイングランド北部の工業主らは、それなりに礼儀正しく行われていた東インド会社の中国貿易を独占主義だと批判。1833年にイギリス議会は東インド会社を解散させてしまいます。そして、《アメリカ南部の奴隷制綿花生産、イングランド北部の紡績業やロンドンの金融市場とも深く》手形決済で結びついたアヘンの輸入が激増。中国国内で中毒患者が増加します。

 経済面でもアヘン貿易によって、中国の銀が国外へ流出。銀本位制をとっていた清では物価が上昇することにつながり、民衆の生活はさらに苦しくなります。もちろん道光帝は倫理的にも反応し、林則徐を欽差大臣に任命してアヘンの取締りを強化しますが、それがアヘン戦争のよる敗北を招き、後は一気に崩壊の坂道をくだることになります。

 ここで面白かったのは許及済によるアヘン自由化論。いまのマリファナ解禁論と同じく、アヘン貿易を合法化して関税をかけることで経済も再建するというアイデアが、この時代からあったというのには驚きました(p.46-)。

 太平天国の乱も、ある程度は知っていましたが、洪秀全が天王府に側室と引きこもったのに対し、楊秀清というシャーマンのような青年が神がかりになって指導するようになったというのは知りませんでした。鳩山首相が辞める時に言及していた「裸踊り」ではないですが、ナンバー2が、この手の団体では大きな役割を果すんだな、と改めて思いましたよ。

 さらに清朝には中央アジアでの回漢対立の波が押し寄せます。ここでも林則徐が鎮圧に乗り出して《漢と回は出自を異にするとはいえ、朝廷からみれば、いずれも慈しむべきもの》と巡撫につとめますが、スルタンを名乗るような者も出て、雲南は荒廃します(p.86)。

 最終的に清朝が諸外国から食い物状態にされたのは第二次アヘン戦争の敗北ですが、その後、外国語の能力を持った官員の養成を進めるようになります(p.99)。徳川幕府もそうですが、遅きに失した対策でも、長い目でみれば後に役立ってくる、という感じでしょうか。

 同時に、ここら辺から日本の存在も浮上してきます。

 1866年に総理衞部門のエキ訴が書いた文章が面白い(p.100-)。

 曰く、日本はイギリスの言葉を学んで数理を理解させ、いつか模倣して汽船をつくろうとしている、と。日本のような小国ですら発憤しているのに、中国だけ因循積習にとらわれているのは恥だ、と。こうした動きが李鴻章の兵器生産を通じての民生部門の工業化、という方向を生み出し、『万国公法』などの翻訳も進められていきます(p.104)。

 1862年に幕府が清との貿易交渉のために上海に千歳丸を派遣し、そこに同乗していた高杉晋作が、すでに上海は英仏の属地になっており、軍備は西洋に劣っているという観察を行ったことは有名ですが、明治維新後、日本の外務省は1870年に清朝と貿易交渉を行います。清朝では曾国藩がどのように対応するかについて、これまた面白いことを書いてます。

 曾国藩曰く、元のフビライが10万の軍で攻めたのに1隻も帰らなかっただけでなく、明時代には倭寇で大きな被害を受けた。日本は中国を恐れる心を持っていない。朝鮮、琉球、越南のような臣属の国とは違う、と(p.114-)。

 ここで、琉球を臣属の国と考えていたというのには、改めて驚くとともに、これが日清戦争につながっていきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?