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ENTJが病む時考察


ENTJは弱音を吐かない、弱い事を言わない

多分これは他のタイプの理想の押し付けだと思う。



これを見て欲しい。


よくある、完璧美しい女の影の姿がめちゃくちゃメンヘラでホントは希4念慮も強くて美に執着しすぎてドツボにハマりすぎて周囲に求められた自分を貫く為に自分を無くしていく姿って、ENTJの病んでる姿なんじゃないか?って思う。

私はそういう時期ぶっちゃけ沢山あった。だから自分の欲しい服というのを生涯でそんなに買った事が無い。だけどしぬほど服や美容に投資してきた。ぶっちゃけその金で好きな事したかった。

だけど自分の趣味が道徳的には独特すぎるから、個性の密度の強さのせいで、この話をすると「いやそんな事ねぇだろバブなんじゃねぇの?w」って、自分の趣味満載の数十マンのジャケット羽織りながら言われた事とかかなりあった。

じゃあ自分の趣味を没個性に変えろってこと?
それ生きてる意味ある?自由は?

だけど、生きてく上で金を稼ぐには没個性を目指すしかなくなる。だから、ENTJは金に執着を持たなくてもいい相対的富裕者程自由だが、そうでない場合は自分の個性を捨てている事が多い。

なので、ぶっちゃけ布なんか着てる時の自分にはそんなに興味が無い。それは私ではない。でも服を着てないと公序良俗に反するし、私自身も普通に恥ずかしい。恥ずかしいって概念はどこまで汎用性があるんだ?人々が共感性羞恥と嘯いてる事はホントは観察者羞恥なのに、共感してるつもりであるという所から私は腹立たしい。私の何を知っている?知った気になるな。お前は私の何も知らない。

人が病んでる時っていうのは多分、自分の病みポイントを甘えだと言われた時ではあると思うんだけど、他の奴らとは違って、その病みポイントは本当に補填出来てないからってのはあると思うんだけど、


ENTJの場合はあたかも出来ているかのように見えるし、そう見えていれば出来てるって事にしちゃうタイプもあるから尚更弱音を吐けない。ENTJはいつも強くてニューゲームを求められる。

だから、どうせ弱音を吐いたらバブって言われるに決まってるから言わない方がマシっていうのがあってセルフネグレクトしがちなんだけど

出来てない事も出来てるように見えてれば出来てるのと同じだと思うタイプの人間からしてみれば、これはセルフネグレクトにすら見て貰えない。


何故か?まあ、それは後に書くとして

だから、他人に同情されるのがしぬほど嫌いだし、自分より弱音吐いてる人間がしぬほど嫌い。哀れみの目で見られる事がしぬほど嫌いだし、人を哀れんで見る事がENTJの最上級の煽り行動だと思う。私はそう。

共感されるのは別にいい。そこから新たな発見ができて楽しい時すらある。でも、ネガティブな共有なんてしたくない。そんなものは無い方がいいし1秒でも早く解決して然り。だから話を聞いて欲しいだけの奴は特に嫌い。

ENTJが完璧美しいだなんてそんなものは他のタイプが考える幻想の一番上澄みの部分なだけであって、ENTJはもっと泥臭くて闇をいっぱい抱えてるのに、それを見せると詰む。だから、その反発かのように自由な人間に憧れるし、自分の理想があるのに追おうとしない人間を心の底から軽蔑する。


なので、ENTJは詭弁と欺瞞を理解する必要がある。そして、自分が成長していく段階で自分に教育者が必要な時、教育者は自分を教育してくれない事を知らないといけない。

だから、その界隈に身をやつす時自分はその界隈でまずある程度前線に立てる状態になってから入らないといけない。だからENTJは相当自分が好きなものでないと仕事を続けるのにはポリコレ性が必要になる。つまり格差である。ENTJにも格差がある。


そして私は毒親育ちでADHDで多数アレルギー持ちの相対的貧困者なので、格差身分がかなり低い。だからよくP型呼ばわりされるし、脳みそはADHD的にかなりESTP(ENTJとESTPは相関系がある)。


つまり、ハメを外すとESTPになるしこれは良くないので、相対的貧困のENTJほど徹底的な擬態が必要となり、周りに本当の事を言えない。ENTJは完璧を求められる。

本人が完璧主義なのではない。そう言われながらENTJに言い聞かせる事で洗脳を仕掛けてくる奴が居るってだけ。でも、ENTJは気質的にESTPでやろうとすると攻撃力が強すぎて包囲網を受ける。私は何度も受けた。だからESTPである意味がますます無い。面倒。ただでさえご時世的にエモエモ社会で殆ど綺麗事しか言えないのに。


というわけで、ENTJは格差がぱっくり分かれていて、共通点としては強くてニューゲームを求められ完璧な人間としてしか見て貰えない運命である事は共通項としては明白。という結果が出た。

だからENTJは外野の詭弁と欺瞞に腹を立てる。

というかそうしないとセルフネグレクトして自滅するハメになる。そんなのお断り。人より強く生きる事を強いられる。そしてその理由は多分、自己肯定感の高さだと思う。


前述に書いた、外野のENTJは"強くてニューゲーム"の押し付けを受け入れてしまう理由というのは多分ここにあると思う。

私のような相対的貧困者の場合は、道徳社会の理想とかけ離れている自由主義さと噛み合わず、生き様そのものが道徳社会に対するアンチテーゼとされているからだと思う。多くの人々はたかだかADHDってだけで無駄に多く病み時として命を落とそうとする人も居る。

だけど、相対的富裕層はそもそも強いからこの外野の愚民からあーだこーだ言われる必要が無い。もっとミクロな争いだから人生の邪魔の数は少ない。まあ、そのミクロの存在がすごくネックな場合を除いて、ね。


話を戻すと同時に本質の話をしよう。


ENTJは自己愛とか自己中とかって言われる事が多い。

たまに、自己愛とか書き込まれたり自己中とかって言われたりするけどそれは違う。MBTIが根っからのENTJの人だとしてもそれは人それぞれ。

自己愛の概念はサイコパスに似通っている。本当にサイコパスならそもそもこんな事考察しない。こんな事を考察せずとも人のことを道具としてしか見ないと思う。私は違う。そんな後々めんどくさい事になるような事はしない。というかそういう奴は私からしたらとても稚拙で矮小に見える。自己愛もサイコパスも根本はENTJの計画性面にとても問題があるタイプ。方向性がア⚪︎。私からしてみればね。なので自己愛はまず的外れ。

そして自己中の場合は、半分正解だと思う。だが、だから何って話なのだ。人は皆どこかで自己中だ。隠す事なんて出来ない。そして、"その場合しょうがないよね"と思う項目も人それぞれ。そして、その免罪符を以て必死でいい人のフリをする。そういう奴程その仮面を被って自分の自己中を達成しようとする。自己中はどっちだ?なので私からしてみればだから何?って話で終わる。

だがそうすると、もう強くてニューゲームは避けられない。でもね、結局の話、それを受け入れないと数々の時間の無駄の茶番が待っている。だから、"公平は存在しない"というビルゲイツの言葉を受け入れなくてはならないし、それに準じて行動した方が話が早い。


これを受け入れられないENTJは多分生きづらいと思う。


公平なんてもんは無え、そう腹を括ればどうだってなる。
月並みな話だが、私の推しの碧棺左馬刻もそう言ってた笑笑


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