劇場版輪るピングドラム前後編を見届けた

 輪るピングドラム(まわるピングドラム)をご存じだろうか。
 私のフォロワーならばほとんどの人が知っているだろうとは思いつつ、10周年を機にTVアニメの総集編を劇場版として公開している。そのクラウドファンディングに参加し、公開即見に行ったくらいには熱を持っている大好きな作品なのだ。
 一応概要を本当にざっくり触れると、オウムによるサリン事件と銀河鉄道の夜というモチーフで組み上げられた、愛についてのアニメーション作品で、監督は少女革命ウテナなどを手掛けた通称イクニ監督だ。

 この作品、語る部分は本当に色々ありすぎるのだけれども、ありすぎるが故にある程度テーマを絞らねば、何年間でも語り続けると思うので、10年という節目で再構成された劇場版についての話をしたいなと思う。
 いないとは思うが、劇場版を見に行く予定だよという人は見てからの方がいいですが、逆に見る予定がないとか、TV版も見てないよという人は見てもいいかもしれない。クリティカルなネタバラシは触れないが、見て知ってる人には分かるみたいな書き方になってます、そこだけは事前にご勘弁ください。

行くか迷っているピンドラファンへ

 行け。劇場追加シーン、物語としてというよりあれは劇場の大きなスクリーンで見ることと、劇場の音響で聞くこと、を考えられて作ってあるなと感じています。
 前編後編共に追加された、実写の都内映像。東京周辺をうろつく人間には、それがどこかも含めてとても分かりやすく、物語が現実へとぐっと近寄って行く。あのシーンたちが挟まることで、没入感が段違いに高まっていく。なにせそこは今生きている私たちが目にしている世界の姿だからだ。だからこそ、今、劇場で見て、そして劇場から出て街を歩くことが、この劇場版を本質的に見る意味がある、そう思う。

ある意味ネタバレみたいな話

 TV版2クールをみている人にとっては若干のネタバレを言い切ってしまうが、TV版のあの物語が変化はしていない。あくまでも再構成であって、兄弟が自分たちの行った運命の乗り換えを追体験するRE:であり、けれどもそれだけではない、”お兄ちゃん”の二人が居たんだという存在証明が成された過程の説明だった。
 再構成がテーマなだけあって、22分×24話の530分を新シーンなども付け足しつつ組み上げられた劇場版は、分かりやすくなったな、と感じた。ただ、散々TV版で見て考えて何度も見返した物語だから、という可能性は高いし、結局のところある意味では”分からない”部分は多い、全部物語の中で不可測なく説明があるかというとそうではなく、画面の美しさと音楽の良さという演出面とシナリオと軽妙な言葉とコミカルなペンギンとを一気に流し込まれて、なんだかよく分からないけど分かるので泣けてくる(ちゃんと分かっているように感じてますけども)みたいな作品である。
 後述する部分もあって、やっぱり初見で気になるよというひとにはTV版をお勧めしたい。説明する上では不必要でも、そんな色々なシーンが物語の背景を作り上げると思っているからだ。

劇場版になってストレートになったメッセージ

 映像美と音楽でよく分からないけど分かったような気持ちになる、という風に言ったが。再構成されて、時には付け足された台詞により、作品が持つメッセージ性がより分かりやすく際立ったように感じている。この作品、角度を変えれば兎に角要素が多いのだが(ちなみに全部をひっくるめてしまうと愛の話になるが、それだとあまりにもおおざっぱすぎる)劇場で再構成されたことにより「家族愛」の話であるという部分が際立ったように感じている。高倉一家の物語であるという部分だ。
 家族とはなんなのか、愛による犠牲、そして存在証明。彼らが守ろうとしたこと、生きることの罪。そんな話である。(濁らせ)

 そして「きっと何者かになれるお前たち」という部分だろう。ちなみに予告編を見ずに劇場版前編を見に行って、かなり冒頭でこの台詞をぶつけられて僕は泣きました。(日記)
 この台詞は後半でも大きな意味を持ってくる。
 個人的に当時からこの物語が面白いなと感じることの一つに、共感を感じる先がピクトグラムになっていることがある。主人公(晶馬と仮定するが)やそれを取り巻くキャラクタへの感情移入をする人は恐らくはとてつもなく少なくて、刺さるとすれば『箱に押し込められた時にだけ姿が見えるモブ』や『こどもブロイラーで透明な存在になる愛を得られなかった子供たち』なのだ。だからこそプリクリ様が画面へカメラ目線で、つまりこちらを見ながら言い放つ「きっと何者にもなれないお前たちに告げる。」にドキリとする。私は、何物にもなれない透明なピクトグラム、だからだ。
 それでも「きっと何者かになれる」のだ、なれないと分かっていても、今は何者でもなくっても、きっとなれる、未来への希望だ。

 ぶっちゃけてしまうが、10年経っているのだ、放送当時からのピンドラファンなんて、もういい年である。自語りになるが、顔も悪ければ、良くなる努力もしていないので身体も悪いし、生まれてこの方彼氏/彼女はいたこともなく、婚活もしていない、一人で死ぬ決意を固めている。そんな自分は正しく「何者にもなれない者」なのだ。そんなことは重々承知の上で、それでも「きっと何者かになれる」。希望を感じるのが難しい世界になっていくなと感じている中で、真っすぐで希望のあるメッセージだ。

やっぱりTV版も見て欲しい

 さて、いるかいないかは分からないが、もしもピンドラを見たことがなくて、興味はあるから劇場版で見ようかな~という人で、この文章を読んでいる人間がいたら……いるのか?いなそう。やっぱりTV版で見て欲しいなぁという個人の感想だ。
 劇場版は再構成されて分かりやすくなり、力強いメッセージを打ち出した一方で、泣く泣くカットされたシーンも数多くある。ギャグめいたシーンが多いのだが、やはりカットされたシーン、ここでは彼らの出来事と呼びたいが、それらを知った上で見ると感情の動きに納得がいくが、やはり純粋に知らずに見ると唐突感が否めない展開も多かろう。
 今も昔も結局マリオさんはなんだったんだ(いやまぁ弟なんだけど)みたいな、そういう存在することで謎が増えるマイナスもあるのだが。
 脳みそド腐れゲロブタビッチ娘だったヤバすぎ女の苹果ちゃんが大天使かよ……とメインヒロインになっていく過程も、夏芽家の事情、ゆりさんの壮絶さ、連雀、そういったものはやっぱりカットなしでTV版で摂取して欲しいなぁって。


 なんだこの文章、誰向けだ……?となってきたが、締めに入りたい。当時、夢中になった物語を10年の時を経て再度見て、やはり面白いなと感じている。不朽の名作だと言い切ってしまいたい。ただ私もいい加減自分自身を理解しつつあるが、私の好きなものはどうやら好みが分かれるらしい。賛否両論と評されていることが多い。その代わり、刺さる人にはとんでもなく刺さるものが多いらしい。黒ひげ危機一髪みたいだね。

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