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シャニアニネタバレ感想:シャニアニは多分だけれど名作じゃなくて怪作

#シャニアニネタバレ感想  です注意。

オタクどもの批判の声がでっけぇ~~~~~~
ので
俺は褒める!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 ただ、その上でどういった文脈でそれをするのかを明示しておきたい。
私はシャニマスオタクなので、外野からの冷静な意見などは語りようがないです。
まずここをご了承ください。
 その上で私がどれだけ言葉を尽くそうが「信者が褒めてるだけ」になってしまうので!
(というか信者だからシンプルに好きなキャラが良い感じに動いてると嬉しいじゃんの時点でプラスなんだよな。)
”なぜ批判が発生するのか”という文脈で解剖していきます。
 これは批判を批判するものでもなく、なぜ納得いかないのだろう/その一方でいいと言っている人間がなぜいいと感じるのだろう、という思考の助けになりたいと思っています。


批判の方向性

 そもそもシャニアニに関しての批判は大まかに三つに分かれているように思います。
①「感情の部分(その人の思ったこと)」と、
②「3Dの是非(技術面)」と、
③「そもそもアニメとシャニマスに求めるものの違いに関わる部分」
です。

 感情の部分はもう感情なので何も触れません、退屈だった、そうでしょう、怒りを感じた、そうでしょう、楽しかった、感動した……正負に関わらず、本当の意味での感想、感情はその人の素直な部分です。否定も論議もできません。間違っている訳もないです、感情は大事にしてください。私はあなたを否定しません

 技術面はもう語るには鑑賞者側には見えない都合が多すぎる。私も実のところ3Dは苦手です、ディズニーピクサーレベルならまだしも、別に国内の美少女アニメは白組だろうがポリピクだろうがあんま変わんねぇよと思っています(※お気持ち)。
 違うのだ!!って方もいるかもしれませんが、多分3Dがな~という感想になる部分に関しては最早2Dとの戦いになるので、なんかもう細かい話は違う。じゃがいもデッケ~とか、踊らす必要のないはづきさんがアイドルの誰よりもモデル体型じゃねーかとか。
 ただ瞳の表現は特筆すべきだと思います。かなり良かった。

 1~3の内、残るは③「そもそもアニメとシャニマスに求めるものの違いに関わる部分」についての話をしたいと思います。

 直感的に批判的に感じる人がアニメに求めていたのが
「シャニマスを他人に勧める上でとりあえずシャニアニ見てよ!って言いたかった」
もしくは
「アニメオリジナル”薄桃色にこんがらがって”系統の重厚なストーリーを期待していた」
のではないか?と思ってます。

 ※なおアイドルに興味がある相手なら、2~5話と11~12話だけでも見てよって6話分見せれば良くね?と思っています。なのでシャニマス興味あるんだけど?っていうアイドル作品オタクは2~5話と11~12話だけでも見てよ。

 全然知らない人が見ても気持ちよく名作だね、と言える作品が欲しかったという感情は理解できます。物語が間延びして薄い系もここに入る。
 例えば真乃が16人のセンターになるという流れ、「そもそも誰も反対しない」し「センターとしての役割は合宿の挨拶と円陣の掛け声位で誰でもできる」し、で”物語”と呼ぶには薄すぎる。
 それに真乃がセンターであるのは物語ではなく事実です。しかもサービス開始時の、そこに物語はないですが、そこに物語を見出そうとしている、けれどもアイマスらしさを重視した結果、P一人一人が抱く始まりの物語を重視し、物語の形で出力することはできないという制約すらあります。

 この薄いし物語ではない発言、私にとっては批判的な文脈で薄いと言いたいのではなく、シャニマスという作品は感情の動きを描き出すことに重きを置いている、という文脈で読み取った場合の王道なんですこれ。厄介なことにこの「シャニマスらしさ」というのが批判的な視点で見ても、肯定的な視点で見てもどちらにも存在する。

 新規にアピールしたい、シャニマスらしい物語にしたい、既存ファンに満足して欲しい、そういった色々な要素を全部得ようとして八方美人になって中途半端になったのでは?という見方も出来ますが、俺はまず製作陣を信じます。それが最初の勇気だから。

シャニマスらしいってなに?

 「シャニマスらしい物語ってどんな物語ですか?」と、シャニマスオタクに問うた場合、多分答えはばらつきます。
 時に時事問題も絡めながら、アイドルと社会について描き、時にアイドルとファンということについて、時にはライバルという関係性について、そして時にアイドルというもの自体を考え、そしてもちろんキャラクタ個人を深く掘り下げることもあります。
 三文ノワールやはこぶものたち、ワールプールフールガールズなど、時に自分たちへ集まるだろうマイナスの感情すらも取り上げる、私はシャニマスのシナリオが大好きです。(全部……とはまだ言い切れないし、好き嫌いはありますがね)そしてそれはものによって描く方向性もテーマもまったく違う。

 私=シャニアニに肯定的な人物、そしてもしかするとシャニアニの製作陣が思うシャニマスらしさは
「都合の良すぎる奇跡は起こらないが、基本的には幸福に終わり、それは物語ではないかもしれない感情の機微を丁寧に描くもの」
という捉え方をしている、もしくはその文脈で読むことに慣れている。人物ではないか?と思ってます。

 そういう意味でのシャニマスらしさを愚直なまでに抽出した結果だなと感じているのです。それは悪いけど物凄く真剣に視線の意味の一つまでもしゃぶりつくタイプの本当にしち面倒であんまり友達になりたくないタイプのオタクじゃないとピンとすらこないかもしれない。 ※俺のことです

前置き:新規エミュレーターはやめよう

 新規向けじゃない、の単語、出た時点であまり考えなくていいです。
 あなたが今まで出会ってきたジャンルの中で一番変な出会い方をしたジャンルはなんですか?思い出してください。あと興味あるのでコメントとかしてください。
 ちなみに私は「劇判のファンファーレが凄く好きだった」(キャラソンとかOPとかじゃなく劇判)と「”今日のエンジン音”という気の狂ったラジオのワンコーナーがある※」です。
※飛行機のエンジン音をラジオで流して翌週までにどの機体かを当てるコーナー
 あと個人的に「特殊装丁を死ぬほど爆盛した一冊当たりの値段がまじでやばい同人誌を無配ですと言って渡したら流石に見ますと言われて実際に見てもらえた」こともあります
 つまり新規の入り口なんてなんも分からないのだから、とりあえずどっしり構えておけよ。ということです。

その上で:原作(enza)に真摯すぎる故に発生してること

 1stライブまでの物語かつ16人の物語なので、作中で描写なくキャッチザシャイニーテイルはもう終了しており、かつ感謝祭前の時空であることは確実なのですが、それを説明なしに「わかるな?」してるのを読み込める人間だけが読み取れるラインと言うのが存在しています。白瀬咲耶は自分自身がそれでいいと思っていると自分自身もそう信じ込んでいますが実は納得していない。それが正しい、それでいい。でもそれってかなり頭シャニマスじゃないと読み取れない物語です。それにそれは解決しないし語られない。
 前述した物語不在という話に繋がります。

 つまりこの作品一見では毒にも薬にもならないし、シナリオが推しなのにシナリオらしい物語もないのに、その成分を取り出すと何か知らんけど「滅茶苦茶シャニマスしてる」んです実は。

シャニマス初年度を愚直なまでに追い求めた賛否分かれる怪作

 俺はシャニアニ大好きだけど、例えば「誰もが見ても文句なしに面白い傑作」とかは言えません、そして「傑作とまでは言えなくてもアイドルものの名作が見たかった」という気持ちも理解します。傑作や名作を期待して、そして出てきたのは怪作だと思っています。
 そもそもシャニマス内でもストーリーの出来の良い悪い人気不人気はあって、私個人では2020年のストーリーコミュが抜群に出来がいいと感じています。それはシャニマス二年目です。製作側にも自覚があるのではないかと思います。そこをあえて初年度を主軸にしてやってきた。
 現在のシャニマスのシナリオを味わっている人間にとっての初年度シナリオ、マジで種類が違うのです。そっちを選び、かつ物語として立て直さずに、物語にならないものを描くという選択をしている。毒でも薬でもないものを嫌うという意味でも、なんか訳わからんほど物凄い冒険であると思います。元々評価が高く丁寧にやれば評価されそうなものを後回しにしてる。続きがあったとして、原作をそのままはやらないでしょう。それはよく分かります、文章が大好きだから分かります、文章を読み込んで脳裏に鮮やかに描いた思い出の物語には絶対に勝てないから。じゃあ思い出を映像化しちゃおうぜ、もしかしたらシャニアニ、そんな発想なのかもしれません。
 じゃあアニメ史に残るか?残りません、アイドルアニメの金字塔になるか?なりません、これは傑作でも名作でもない怪作であると感じています。

 シャニアニを見て、丁寧だな、と思える人。シャニマス向きの人材です。シャニマスやらない?楽しいですよ。

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