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怡庵的 徒然なる日々 身近な喫茶店

月に何度かきまって駅前のカフェを利用し便利にしていた時期があった。

スタバやタリーズよりも先発のチェーン店としておこう。カフェというよ り喫茶店と呼びたいのは自分だけかも知れないが。

用事ができると、約束よりも早めに目的地に着いて時間調整を兼ねてのラ
ンチを楽しむことにしていた。バケットのサンドイッチやソーセージにマ
スタードが塗ってあるパンに、気分でホットかアイスコーヒーを頼むこと
にしていた。

いつも使う店はなかなか繁盛している。特にシニア世代の割合が高く、「
賑わう」ということば通り大きな声の話し声があちこちから聞こえてくる。

同じ系列の国立大学通りの店などとは趣がかなり異なる。よそから椅子を
持って来て腰かけて何人かで盛り上がっているグループ。知り合いを見つ
けて立ったまま話を続ける人。別に悪気もなく、そこにはむしろ「パワー
」を感じさせる。

だからか店員もすべて了解して注意するでもない。若者は黙々と自分だけ
の世界で勉強を続け、サラリーマンもまた自自分の好きなように過ごして
いる。かくいう自分は何だか人間観察をしているようだが、実のところぼ
うっとするのを楽しんでいる。

気がつけば左隣では婦人が家で切り抜いてきたか新聞記事を何枚も取り出
し丁寧に読み始めた。時々コーヒーを口に運びながら。

そう、ここに集う誰もに共通しているのは店の「コーヒー」などを飲んで
いることだ。それぞれが思い思いに好きにして過ごしているのに、誰もが
「コーヒー」で結びついているのだ。店内にいる誰ひとりとしてそんな風
に結びついているなどと思ったためしはないだろうが。どうも不思議なこ
とに心地よい一体感に包まれているようなのだ。思い過ごしか?ではない
だろう。

いいではないか。「コーヒー」が取り持つ縁だもの。そう思いつくとこの
店の客になることがより楽しくなってきた。また、あの雰囲気の中でコー
ヒーをゆっくりと味わいながら、のんびりお昼を過ごしてバケットのサン
ドイッチを食べてやろうと期待する自分がいた。

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