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その苦労、する必要があるのか?

苦労は買ってでもしなさい」
誰しも若い頃から、先輩や年配の方に言われた事があると思う。
最近の若者は苦労を知らない、だとか、君は苦労が足らない、だとか。

しかし、人生は有限だという事を前提として
"苦労"というものについてよく考えなければいけないとずっと思ってきた。

ポイントは2つあるのだが、1つ目は、苦労という言葉は、辞書では肉体的、精神的に力を尽くし、苦しい思いをする事、と定義できるが、実際は、各々で意味が違ってくるという点だ。
例えば、トイレ掃除をしていても、楽しい人もいれば、苦痛に感じる人(苦労だと感じる人)もいる。
何か崇高な目標があれば、それまでの段階においての苦労を、苦労と感じない人もいるだろう。
つまり、同じ行為でも、苦労と感じる人もいれば、そうではない人もいる。
僕は後者でありたい。

2つ目は、時代を経て、苦労の内容は変わっていくということ。

年配の方々が、今の子達は苦労を知らない、と感じるのはつまりはそういう事で、自分が子供の頃にしていた苦労を、今の子供達がしていないと、今の子供達は楽をしているんじゃないか?という錯覚だ。
これは、経済発展をしているという事実を踏まえると、例えば、今の子供達が、食べ物に困っていたらそれは明らかにオカシイ。
50年前の子供達が食べ物に困っていた、という苦労は、必要な苦労だったのかもしれないが、2018年の現在の子供達が食べ物に困るという苦労をしていた場合、それは明らかに無駄な苦労だし、あってはならない事だ。
年配の方々に分かりやすくいうと、皆さんの上の世代から、「お前らは戦争に行ってないから、根性がないんだ!」と言われるようなものである。
ようやくピンときただろうか?

まぁ、これは極端な例だが、学校でも職場なんかで、無駄な苦労をしてる人を見ると不思議だし、昔からこうだからとロジックの通ってないやり方を強要されると脊髄反射で拒否してしまうし、気色悪い。

だから、理想的でもあるが、年下の世代の人達が自分がその年齢の時にしていた苦労をまだしていたら、それはオカシイ、と思うのが論理的ではないだろうか。
少なくとも、その間には経済発展や、科学技術の進歩があるワケで、自分がしていた苦労より、レベルの高い苦労をしていなければオカシイのである

僕は、こう思うのが論理的で自然だと思ってきた。

勿論例外もあるだろうが、それは科学的裏付けがあり、しかもたまたま昔からされてきた行為だったからなのだろう。

世の中には、無駄な苦労をしたがる人がいるが、それは個人の自由だから構わない。
だが、自分より下の世代に押し付けてはいけない。
自分が年をとったのち、自分より下の世代を見た時に、自分がその頃にしていた同じ苦労をしていたら、論理的に考えてオカシイのである。
その時には若者達は、自分には理解出来ないような、もっとレベルの高い苦労をしていなければいけない。


故郷の母と父に、何か買って送ってあげたいと思います。