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定期試験はいたしません。

 このコロナ禍で延期になっていたが、大学の授業開始日が4月23日で決定した。いよいよ僕もこれから講義形式の授業をスタートだ。

 その受講者の評価だが、僕は期末の定期試験は行わないスタイルでやってみようと思う。つまり、学生の評価は、毎回の講義で行う理解を確認するための小テスト・小レポートと、期間中に2回課すレポートのみで行うこととしてみたい。

そう考える理由は次のとおりだ。

①定期試験だけ頑張る学生を高く評価したくない
 僕は前職がスタートアップの経営者だったので、こんなふうに考えてしまうのだが、間違っているだろうか。
 定期試験だけ頑張る学生は、いわば「社長が会社にいる時だけ張り切るスタッフ」と同じではないだろうか。確かに社長からすれば、そのようなスタッフは熱心に報告に来たりして、思わず可愛がってしまう。しかし、会社は基本的に毎日継続していく一方で、社長は営業など対外的な仕事が多いから、会社にいないことも多い。社長としては、会社にいる時は様子がわかるので、むしろいないときにスタッフがどの程度の熱量で働いてくれているのかが重要である。よって、僕としては、スタッフの「普段の様子」を評価しなければならないと考える。(ただし、大学の講義の場合、他の先生に聞いてみると、実際には定期試験の成績が良い学生は普段の受講態度も熱心であることが多いようだ。) 

②「試験に出るから」勉強してほしいわけではない
 僕の授業は資格試験対策をするわけではない。学部の大学一、二年生に対して行う講義の一番の目的は、学生に僕の講義をきっかけに、観光事業や地域振興等に興味を持ってもらい(興味を持つためには最低限の知識が必要だ)、今後のより深い学びや、進路選択、将来の目標設定に役立ててほしいということだ。
 他の先生の授業を聴講させていただいて気付いたのは、先生が「ここは試験に出るので大事ですよ」と言った時だけ条件反射的にメモを走らせる学生の存在である。でも、これはおかしい状況ではないだろうか。本来は、試験に出るから大事なのではなく、大事なので学生に勉強してもらって、その理解を教師が確認するために試験に出すということではないか。しかし、定期試験は期末に行われるから、教師は期間の途中で学生の理解を十分に確認することができず、いきなり定期試験になり、その結果がそのまま学生の評価になってしまうのだ。僕は、定期試験を行わないことで、この因果関係を変えていきたいと思っている。

③教師だから偉いわけではない
 教師は無条件に偉いわけではない。学生に対し満足度の高い講義をすることによって、学生が所期の目的を達した、あるいはなんらかの学び・気づきがあって、それが教師への尊敬につながるなら良いのかもしれない。しかし、上記②とも関係しているが、教師は教師だから偉い、あるいは、教師が学生を評価するから教師は偉い、ということになっているとしたら、それは問題だ。なぜなら、教師は学生にとって会社の上司ではなく(もちろん会社の上司だからといって偉いわけではないのだがジョブ型雇用の場合、上司と部下の間に擬制的な雇用・被雇用関係が発生する)、お客さんであるからだ。

 定期試験を行う理由は、おそらく、先生がその方が多数の学生を評価しやすいからではないだろうか。確かに、定期試験以外の方法で、複数の観点から客観的に学生の理解度を評価するには労力がいりそうだ。講義では定期試験を行っている先生でも、ゼミの評価を定期試験で行っている先生は聞いたことがない。

 僕は青臭いことを言っているのだろうか。このような「業界の素人」による試行的取り組みが、結果的に本学の学生にとってより良い学び・気づきをもたらすと信じたい。ちなみに、今回のコロナ禍により、講義は原則としてオンラインで行われることになったが、上記評価方法は元々オンライン講義と親和性が高いのではと思っている。毎回の講義の進行・構成が教師・学生とのインタラクティブなやりとりを前提にしているからだ。

 とはいえ、このようなかっこいいことを言うのは簡単だが、教師も経営者同様、結果が全て。どうぞ3か月後をお楽しみに!

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