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或る夜(あるいは、"あの夜を覚えている"という至高のエンタメとの出会い)

 私は深夜ラジオが大好きだ。霜降り明星ANN・佐久間宣行ANN0・オードリーANN・菅田将暉ANN・ファーストサマーウイカANN0のヘビーリスナーである。そんなラジオに送ったメールを読まれたこともある。幸せだ。深夜ラジオは私の一部であり、いつしか必要不可欠な存在になっている。オールナイトニッポン55周年記念公演「あの夜を覚えている」が行われると聞いて、胸が高鳴った。そして、その数か月後、この公演を観終えた私は、また胸が高鳴っている。

(ネタバレあります。ご注意ください)

1.パーソナリティとスタッフとリスナーと。

 「藤尾涼太のオールナイトニッポン」のパーソナリティである俳優、藤尾涼太と番組AD植村が放送100回目の放送を行っている。前半パートのラストシーン、藤尾がラジオ中に話していたことは、すべてディレクターと作家が書いた台本であり、事前に藤尾が一言一句を暗記し、放送に臨んでいたことが判明する。それに耐えられなくなり、彼はラジオを辞める決意をしたと植村に伝える。

 ただでさえ、自分が好きだったラジオが終わるのは辛い。それはリスナーとしても、スタッフとしても。パーソナリティの本音が聴けるのがラジオの醍醐味だと感じていた植村は大きなショックを受けていたが、スタッフもリスナーと同じ気持ちなのだと言われている気がした。どのパーソナリティにも必ずリスナーがいて、愛する人がいる。その人たちにとって、番組が終わるというのは、生活の一部分を欠かれるということ。スタッフの姿を通して、非常にわかりやすく描かれていた。

 それから2年後、緊急の代打として、植村の懇願で、再び藤尾涼太は、オールナイトニッポンのマイクの前に座る。自分の言葉で喋れない中で、その場で作られた台本を読み進める藤尾。そして番組も後半へ。周りの心配をよそに、植村は彼に1枚の台本を渡す…。

 パーソナリティはリスナーの味方だ。それはその人が面白いから、声がきれいだから、魅力的だから。理由はいろいろあれど、そのパーソナリティと同じ時間を過ごしたいと思う。だが、それ以上にリスナーはパーソナリティの味方だ。”せいやのZOOM騒動事件”直後の霜降り明星ANN0の伝説の放送だって、”春日の不倫報道”直後のkwannだって、リスナーはずっと味方だった。だからこそ、あの放送は語り継がれていくのだと思う。植村は、藤尾に「フリートーク」とだけ書いた台本を渡す。藤尾はそれまでの饒舌で元気な声ではないものの、自分の言葉を必死に紡ぎながら、想いを話す。そこで読まれるのはリアクションメール。どこか真面目に、どこかふざけながら、リスナーはずっと藤尾の味方でいた。こんな素敵な関係はラジオ以外で観られるだろうか。目に見えないのに、確かな信頼関係と圧倒的な強いつながりがある。それを「オールナイトニッポン」という実際の番組をベースに描いていることが、説得力を強めている。凄まじいストーリーに胸を撃たれた。

2.散りばめられた小ネタとラジオ愛

 今回の公演では、登場人物の台詞・局内に貼られているポスター・劇中流れるラジオCMに小ネタが散りばめられていた。調べればいくらでも出てくると思うので、ここでは私が特に突き刺さった小ネタを紹介したい。

 「空記事」「ランパンプス」「イエスマン龍」

 というこれまでのオールナイトニッポンで登場したワードや人物、そのオマージュともとれる小ネタ。思わず笑ってしまう。

 「StandbyのCD」「小宮浩信のANN0グッズ」「佐久間宜行の育児本」

 という、パーソナリティに関する、これからあるかもしれないと思ってしまう小ネタ。実在しないとわかっていても、期待してしまう。

 ラジオは生放送のものが多い。そして、今回の公演も生配信。リスナーとつながりたい。リスナーと同じ時間を過ごすのがラジオの醍醐味だという作り手の並々ならぬ想いの強さに感動した。現在、配信サービスによるエンタメが増えてきており、その時代だと言われることもある。ただ、観ている人に寄り添えているかどうかという観点ではラジオは負けていないどころか、軍配があがる。ラジオは、パーソナリティの愛・リスナーの愛・そしてスタッフの愛。全てが濃縮されているメディアである。それを体感できるような演劇だった。観れてよかったと思うし、自らのラジオ愛も再確認できた。

3.ラジオに救われた夜がある。

 あれは、高校2年生のこと。私は肺気胸という肺に穴が開く病気に苦しめられた。手術ではなく、治癒による完治を目指したのだがうまくいかったうえに、修学旅行のシーズンと被ってしまい、私はみんなと旅に出ることも諦めさせられてしまった。そんな中、午後6時から翌朝6時まで、手術後12時間は、起き上がることも基本的に許されない状況で、意識はあるのに動けないという、まさに生き地獄の時間があった。時間の流れはあまりにも遅く、好きな映画も観れない。スマホを触る気力もない。心配で眠れない。何もできない。死にたい。そんな時に、ラジオをつける。Creepy Nutsが喋っていた。たしか、その日は収録放送で北川景子が同時刻に生放送のラジオをやっていたそうで、それにうわつく2人の放送だった。

笑った。

大いに笑った。

 肺の手術後ということもあって、笑えば笑うほど自分にダメージが来たが、そんなことは知るかと言わんばかりに笑った。そして、少し泣いた。気づけばラジオは終わって4時半。あっという間の1時間半だった。辛くて何もできないとき、救ってくれたのはラジオだった。進まない時計を進めてくれたのはラジオだった。私は、ラジオが救ってくれた”あの夜を覚えている”。

 そして、これからラジオに救われる夜のことを考えると、胸が高鳴った。





 もちろんこの公演はタイムフリー…

 おっと、失礼、アーカイブでも堪能しました。何度観ても最高でした。

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