見出し画像

誰がために恋をする



皆さんは、「『恋愛』をあなたなりに定義してみて」って言われたら、なんて答えますか?

画像2

私だったら、「生涯を通して大切にしたいと思える人を見つけること、また見つけた時はその人自身の欠点を含めて愛すこと」と答えます。


ちなみに、ネットで検索して出てきたいくつかの事例はこちらです。


恋愛とはー・・・特定の人に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情をもつこと。(goo辞書より)
恋愛とはー・・・男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい(広辞苑第6版より)
恋愛とはー・・・特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと(新明解国語辞典第6•7版より)


個人的には、広辞苑のはまずありえないなって思います。

主語が「男女」な時点で違和感を覚えます。

余談ですが、「恋人ができた」と言うと「彼氏ってどんな人なの〜?」みたいに異性愛が前提で色々聞かれるのが好きではないです。

私の場合は異性愛者なので、事実と相手が持つ前提がずれているということはないですが、同性愛者だった場合、ものすごく気まずいだろうなと思います。

「相手のどんなところを好きになったの?」であれば、全員にとって優しい質問だと思うので、そんなに深い仲ではない方との恋バナではぜひ使ってみてください。


あと、新明解国語辞典の定義も個人的にはあまりしっくりこないなと思います。

「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」

私の場合はたとえどんなに相手を大好きでも、おそらく仕事より勝つ瞬間はほとんどないと思いますし、どんなに愛していても24時間365日一緒にいたいとは思わないです。

共感してくれる方もいますが、やっぱり少数派なんだろうなと思うことが多いです。

自分自身、最近もしかして自分は恋愛感情自体があまりないのかな、と思ったりして、色々考えてた中で1つ答えが出まして。

それは、ひとそれぞれ「恋愛」や「付き合う」の定義が違うんだなということ。

またひとえに「恋愛」と言っても、個々人によって「恋」と「愛」のグラデーションがあるんだということ。

先ほどの話に戻せば、私にとっての恋愛とは上記の3つでいうと、goo辞書の以下の定義が一番近いんですね。

特定の人に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情をもつこと。

グラデーションの話で言えば、恋よりも愛が濃いということなんだと思ってます。

新明解国語辞典の定義って、私からすると愛よりも恋が濃い。

多分こういう違いが恋愛における価値観でうまくいかない大半の理由を占めているんじゃないかなと思ったわけです。

カ◯ピスで考えてみるとわかりやすいんじゃないかなーと思うんですが、

画像1

恋:カルピスの原液、愛:水

好きな濃さってそれぞれで、恋が9、愛が1の人もいれば、恋が2、愛が8の人もいる。

で、濃いカルピスが好きな人からすれば、薄ーーいカルピスだされたら「もっと原液(=恋の要素)を足してよ!私のこと好きじゃないの?!」ってなりますし(相手は愛の要素が強いだけなのに)、

薄いカルピス好きな人が濃いカルピスのまされたら胸焼けして、「なんかもうカルピス(=恋愛自体)とか当分飲まなくていいや」ってなる気がするんですよね。

で、現在自称薄いカルピス派な私なのですが、昔はもっと濃いカルピスが好きだったし、いまだにその名残もなくはない気がして、どうしてそれが変化したんだろうなと思ったわけです。

なんかそれってつまるところ、恋愛って誰のためにするものなのかが変わったからだなと思いました。

若かりし頃の自分は、恋している状態の自分がすごく好きだったし、恋によって得られるドキドキやワクワク、一時的な情動に対する執着、相手に異性として見られていることに価値を見出していました。

「彼氏なんだから他の女の子がされているように私にももっとこうしてほしい」って気持ちしかなく、相手を幸せにしたいからではなく、自分が幸せになりたいから恋愛していました。

多分当時の彼氏も同じような感覚で「俺がお前のことが好き!だから付き合ってくれ!」っていう感じで、互いに自分のことしか考えない恋愛だったなと思います。

そういう恋愛は、恋の要素が強すぎて、また自分が可愛くて相手のことを思いやれず、愛は育たなかったと思います。

その大きな転換点になったのが、2年前の恋人に言われた一言でした。

付き合うってなったときに、相手に「どんな彼女だったら嬉しい?」って聞いたら、

「そのまんまの君で一緒にいてくれたらそれでいい」

と言ってくれたこと。(まあ後日振られたので、そのまんまの私じゃダメやんって心の中でめちゃくちゃ突っ込んだけど、、、)

その当時は衝撃で、「え?それでいいの?」って思いました。

でも一緒にいればいるほど、基本的に否定しないでそばにいてくれている彼のことが信頼できるようになり、人生で一番幸せな恋愛で、「ああ、自分がほしかったのって刺激的な恋じゃなくて穏やかな愛だったんだな」って気づきました。

彼氏だから高いもの買ってくれなきゃ嫌だとか、ハイスペックな彼氏が自慢、とかではなく、ただただ私自身を否定しないで穏やかにそばにいてくれることがこんなにもありがたいんだなと。

でもまだ当時の自分は恋の要素が強くて、「こうしてくれなきゃ嫌だ」「こういう彼氏がいい」というのが完全にぬぐい切れてなく(むしろ無意識に押し付けてた?)、彼はいなくなったんですが、

別れた後に、最後まで「あなたはあなたのままでいい。私のために変わらなくていい。」と言えなかった自分に対してすごく悔いが残りました。

私を変えようとしないですごく大切にしてくれたのに、自分はそうやって愛し返せなかったなと。

でもそうやって、自分自身をまずは受け止めてもらえたことが、その後の恋愛の価値観にもすごくいい影響を及ぼしました。

一番は、自分のために恋愛している人とそうじゃない人を見極められるようになったこと。

一方的に恋してる人って、本当に相手のことを考えてなかったりするんですよ。

相手のタイミングに合わせないでしつこく連絡してきたりとか、自分が会いたいから「会いたい!」って何回もせがんできたりとか。(家or最寄り駅の近くで待たれるとかも何回かありました)

それを私が「嫌だ」と思うかもしれないって考えなかった、もしくは考えられない人なんだろうなって人とは恋愛しないようになりました。

恋の要素が強い人に合わせるのって自分としてすごく厳しいし、相手の好みの濃さになってあげることも生涯難しいと思うので。

「選ばなきゃ若い女の子なんだし彼氏できるでしょ!理想高いんじゃない?」

てきな言葉もいただくのですが、

私にとっての「付き合う」は、

「あなたのいい部分はもちろんのこと、個人的には合わないと感じる部分も含めて一生一緒にいられるようにまずは愛してみようと思っています」という意思表示なので、

何かを妥協してまで選ぶ選択肢ではないなーと思います。

一生一緒にいたいなと思えないほどその時点で違和感ある人のために頑張れないので・・・

結婚も同様で、私の求めているものって、「安定した関係を構築でき、何かあったときに一緒に課題解決しようとできるパートナー」なんですよね。

結婚したらイコール幸せになれるとも思ってないですし(むしろ辛いことのほうが多そう)、ましてや恋愛感情なんて長く続くものではない(少なくとも私にとっては)ですが、

自分の子供はほしいし、それが愛する人の子供だったらすごく嬉しいだろうなとは思います。

なので、自分にとっては一緒にいて落ち着くパートナーであり、子供にとっていい父親になってくれる人であればそれで十分です。

たとえ結婚しても互いにひとりになれる時間はほしいし、経済的な財布も別でありたいなと思います。

逆にめちゃくちゃ嫌なことは「俺にために人生を変えてくれ」とこちらが合わせるのが普通だと思って軽い気持ちで言ってくること。

仕事辞めてくれとかも代表的だなと思いますが、「それ自分が言われたらどんな気持ちになる?」みたいなことを「世の中はそれが一般的だから」というテンションで強いてこようとされるのは無理です。

個人的には、パートナーが仕事で精神的に辛いとか、病気になったときに、「私が稼ぐから今すぐ辞めな!」って言ってあげられる人間でいたいし、仕事大好きなので相手のために辞めるとかは考えられないです。

誰一人として同じ価値観の人間はいないからこそ、自分との違いをまずは否定しないで一度は受け止めること。

その考えを尊重した上で、自分はどういう価値観なのかを相手に伝えるのをサボらないこと。

そしてふたりで互いに妥協点を見つけること。

世界で一番仲がいい他人を目指すのが理想です。

こう考えをツラツラ並べるとてんで合理的で愛とかないように感じますが、

他人を愛するって、まずは自分のことを自分でできてからするもの、と思っているだけで、相手を思いやる気持ちは根底にちゃんとあります。

「俺のために・私のために変わってくれ、それが愛情表現だろ!?」ではなく、「そのまんまのあなたでいい、私のために無理しなくていい」と言えること。

つまり、相手を愛するということ。

自分のために恋することの先には、そんな価値観の変換があるんじゃないかと思います。

もし私と似たような価値観で、自分に恋愛が向いてないんじゃないかと悩んでいる人がいたら言ってあげたい。

それは好きなカルピスの濃さが違うだけかもですよって。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?