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等身大でいられなかった自分へ


拝啓 等身大でいられなかった過去の自分様

お世話になっております。

あなたのおかげでメンタルが絶不調な現在の自分です。

恨みつらみを書きたいのはやまやまですが、今日は何であなたが等身大でいられなくなっていったのか、振り返って一緒に考えていきたいと思います。

あなたとはきっと長い付き合いになると思うので、変にかっこつけることなく素直な気持ちを綴っていきます。

あなたが辛くなる一番の要因は、「自分の実力を高く見積もって自分に無理をさせすぎ」です。

高校の時からでしょうか。

それなりにデキるヤツのオーラをまとうのが得意なあなたは、自分の理想を見つけてはそれになりきっていましたね。

根が真面目なくせに不良に憧れていたあなたは、化粧もバイトも禁止な高校で自由に振る舞い、男遊びとかしちゃってる自分にめちゃくちゃ酔っていたことを昨日のことのように思い出します。

「こんな私が現役で早稲田受かったらかっこよすぎないか…?」

と武者振るいしながらナルシスト心に火をつけては受験勉強に取り組みましたね。

プライドが非常に高いくせにそこそこしか勉強はできなかったので、高3の夏に過去問を解いて3割しか点数がとれずに1人で泣いていたこともありました。

そう。それこそが、"あなたの実力"です。

でもそこから、まずは自分の実力を受け入れて、だからこそ頑張らねばと毎日10時間くらい勉強しました。

お風呂に入ってるときも、お弁当を食べてる時も、参考書を手から離しませんでした。

徹底的に過去問を分析し、時間がないからと効率を考えて勉強できていました。

だから、ちゃんと現役で受かったんだと思います。

でも周りは、必ずしもその努力の過程を見ていたわけではありません。

「なんでもできるんだね!」と結果を見て褒めてくれました。

そこからですね、自分の実力を高く見積もるようになったのは。

やればできる能力がある!これってやっぱり私の頭がいいからか!

それに加えて「努力できる自分が好き!」と、自分の価値を「努力できること」に置いていきました。

大学に入ってからもさらにその考えは加速していきました。

「ちゃんとオシャレで可愛いのに勉強もできる自分でありたい…!」

と、自分で自分に対して課題を与え、それに努力で応えることができる自分が大好きでしたね。

その頃にはもう、誰のためでもなく自分のためにやってることなはずなのに、他人からの評価がないと不安になってしまう性格になっていました。

元来自己肯定感がかなり低いあなたは、「理想を見つける」→「それに見合うよう努力する」→「その結果を他者に承認される」のプロセスを踏まないと自分を好きになれないようになっていきました。

さらによくなかったのは、確かにあなたには努力できるという才能があったし、振る舞いも非常に上手で結果がついてきてしまったことでしょうか。

一言でいうとごまかせてしまったんですね。

あまり化けの皮が剥がれず、いつも相手に求められる自分でいることもそこまで苦痛に感じていなかった。

周りにすごく恵まれた人生だったので、朗らかに褒めてくれる人が多かった。

だからそのやり方が成り立ってしまった。

そして、根本的な部分は変わらず自分をうまく愛せないまま、努力する必要があるものだけ増えていきました。

そしてついに、社会人になって限界が来た。

これは正直予想していたことで、思ったより早かったなという感想です。

先ほどのプロセスを踏まないと自分で自分を認められなかったので、根本を変えなければ「努力しないで死ぬか」「ギリギリまで努力して死ぬか」の二択しかないことはわかっていました。

でも性格上、期待され続けるとNOとは言わず、また一生懸命仕事したいと心の底から思っていたため、うまく手を抜くことができませんでした。

ここでもまた、自分の実力を高く見積もりすぎます。

私はやればできる!だからやらねばならぬ!

自分ができないのは手が抜いてるからだ、先輩や上司の手を煩わせる後輩など理想の姿ではない!と、努力し続けました。

実際評価はしていただけて、非常にたくさんの面白くて難易度が高い仕事がたくさん振られるようになりました。

でもそれはあくまでも、毎日の血の滲むような努力と尋常じゃなく精神をはりつめた上でそう見せていた上辺の実力であり、本当の実力ではありません。

ある日突然、頭と身体が動かなくなりました。

ものすごくショックでした。

なぜなら、「自分はもう努力できない状態になったんだ」と物理的にわからされたから。

頭の回転が早くて、気が利いた面白いことを言えて、アイデアが湧いて出てくる自分が大好きだったのに、もう何も浮かばず、何を見ても感情が湧かなくなりました。

めんどくさいなと思う習慣も、自分のためだ!と身体をコントロールしてちゃんと行動に移せる自分が好きだったのに、力が入らず、片手すら満足に持ち上げることができなくなりました。

他人からの評価なんてなくても、せめて自分が努力さえできれば、自分のことをもっと好きになれるのに、と悔しくて毎日泣いていました。

他の人より努力したらなんでもできる自分が好きだったのに、何でそれすらできないんだ、それすらできないならもういっそのこと自ら命を断ちたいとすら毎日思っていました。

昔、私の研修の様子を見ていた会社の先輩に、「あなたは、仕事のしすぎで死んじゃいそうだね。」と言われたことがありました。

「メンタル強くないから、気をつけないとですね〜!」と笑って返す私に、

彼は「いや、どちらかというと身体かな。本当に死ぬところまで頑張っちゃう人なんだろうなと思って。」

と真剣な顔で言われたのを、ベットから天井を見上げているときに思い出していました。

散歩ならできるかも、と小一時間外を歩いていると、色んなことを思い出してしまって涙が止まらず、電柱に寄りかかって休み休みじゃないとうまく歩くことすらできませんでした。

怖かった。

もう二度とこれが治らなかったら、私はいったいどれだけのものを諦めなければならないんだろうと思うと、毎日怖くて一人で静かに泣いていました。

それでも、もう一度自分のことを好きになりたくて、体調がマシになってきてからは、色んな本を読みました。

自分のことをもっとよく知りたいなとも思っていました。

やっぱり自分で自分をコントロールしたいという欲求が他人よりずっと強い人間なんでしょうね。

自分とうまく付き合っていきたい。

似たような性格で悩んでる方のために、以下おすすめの本を記載しておきます。


個人的にこういう類の本を読む時に気をつけてることは、

•スピリチュアルによりすぎていない

•具体論が記載されている

ですね!

だいたいメンタルが弱ってるときの人間なんてまともな判断力持ってないので、スピってるものは避けた方が無難だと思います。

自分ではとてもじゃないけど何か選んで行動する気力がなかったりするので、誰かに決めてもらうの楽だしすがりたくなりますけどね〜。

メンタル弱ってるのに頑張るなよ、ありのままの自分を愛せよ、という気もするのですが、

やっぱり根本的に頑張る性格なので、ダラけてるくらいなら1ミリずつでも自分のためになることをしてあげる方が向いています。

逆に、メンタルが回復したときには、自分自身をもーーっと愛せるようなイベントをたくさんやらせてあげたいですね。

今はそうやって毎日少しずつでも自分のこと好きになれることを積み重ねて自信をつけていきたいなと思ってます。

等身大でいられなかった過去の自分へ。

すぐには無理だと思うけど、辛抱強くそばにいるから、一緒に生きやすい人生にしていこうね。

これからもよろしく。

現在の自分より。




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