愛されたいと願うなら

2024年春分。
更なる進化成長を迎え新たにスタートした連載コラム「Pavilion of the Earth」

かつての私は「私は愛されていないから」と自分自身におまじないをかけるように、あらゆる人生に起こる現象の理由として「私は受け取って来なかった、与えられて来なかった」と人生に言い訳と諦めを重ねる人生でした。
親や環境、誰かと比べたりそれまでいつの間にか鎧のように私を纏っていた概念や誰かの意見、常識、ジャッジや恐れ。

振り返れば沢山のサポートや沢山の愛のシャワーを浴びていたんだと気付ける自分にもなれました。それでもあの頃の私は誰かに言われる「あなたは恵まれてるんだよ」の言葉に心の中では同意できない自分が居た。

愛されるってなに?
愛だけで幸せになんかなれるの?

母がエステサロンを経営していた影響から、女性たちのリアルな声に触れることの多かった学生時代。お客様には娘のように可愛がってもらっていたし学校帰りにはサロンに寄る日も多く、大人の世界に早い時期から触れて居ました。
メイクを落としてすっぴんになったり、マッサージをしていくと面白いぐらい「本音」が出てくるのがエステサロン特有のエネルギーだなと学んだことも私の人生にとって感慨深いことでもあります。

ある程度、社会経験を経て自然な流れで私自身も母のお店を手伝っていました。
それまで直感的にトライしてみたいことには短期間ながらも経験し、サロンに顔を出すことは減っても私の事まで家族のように大切に思ってくれるお客様が沢山いて本当にありがたくも不思議な感覚でした。
まだ会った事がなくとも母を通してお互いが知っているような感覚。
地域密着だった事もあり本当に心と身体のメンテナンスやエネルギーチャージをしに来てくださる方が多いんだなと若いなりに感じていました。

そこには私の知らない領域で、母だからこその想いや信頼関係があってこそだとあの頃より少し大人になった私は感じています。

親子で働くって難しい部分も多くて、お互いにリスペクトやバウンダリーが取れていないと必要以上に感情反応だったりぶつかり合うことも少なくありませんでした。ましてや帰る場所も同じで、一人になる時間がほとんどない日のほうが多かったように思います。

そんな中、母も歳を重ねていき(プライベートでは両親が離婚していたので)新たにパートナーを探してみようかな?とおしゃれを楽しみだしたり二人でショッピングを楽しんだり、飲みに行ったりとまるで姉妹のような時間を過ごしたことも楽しかったな。
初めてお相手と会う前にドキドキしてるママに髪を巻いてあげたりメイクしてあげたことも良い思い出。

親との距離感っていつまで経っても歯痒かったり照れ臭かったり、ついぶっきらぼうになってしまったり特に日本人はコミュニケーションが少ない文化でもあるから難しいと感じる人も多いのかもしれない。
私が大人になってから最初で最後になってしまったママとのハグは、今振り返ると遅すぎたなと感じる。もっとハグしてあげたかった、もっと愛や感謝を伝えたかったな。

「大丈夫」と口では言ってるママもやっぱり毎年、歳を重ねてふと気付くと小さくなってる身体に言葉にならない感情になったことも少なくなくって。それでもどこかで“親が居なくなること“なんて想像すらした事なかった。
本当はただしたくなかった事なのかもしれないけどね。

私が生まれてからずっと「居る」存在。
ハグもありがとうもごめんねも肉体があるからこそ、お相手と出来る愛のコミュニケーションのひとつ。
いつかが来る前にこれを読んでくれているあなたには、勇氣を出して抱きしめてあげて欲しい。理由なんてなんでもいいから。
「いつもありがとう」って
そこで感じることが必ずあるから。お互いに。

後悔のない人生をね。


こんなことを書きながらも私は、母が星に還ってからも愛について分からないままでした。
「私を置いて先に帰ってしまった。これから誰が私を守ってくれるの?」
この想いに耳を傾けられるようになったのも実は数年経ってからの話。

それぐらい私はずっと誰かに頼りながら甘えながら生きてきました。
何かを探しながら、私を幸せにしてくれる人を探し求め、少し幸せを感じ始めると心のどこかで「これでいいのだろうか?」と理由のない不安に自ら入り込み関係性を経とうとしたり、トラブルを起こそうとしたり。物事を大ごとに捉えたり。

私の人生は波瀾万丈で何も起こらない人を不思議に思う事もありました。
「なんであの人はあんなにしあわせそうで平穏な人生なんだろう?」

それも自分が望んで引き起こしていたんだと今なら理解出来ます。


そんな私が2022年に出会った「自分を神様にする瞑想®︎/自分と繋がる瞑想法®︎」

“自分を愛することから全てが始まる“
自分を神様にする瞑想®︎に出会ってから変わることなく私の心に刻まれているメッセージの1つです。

まだ“セルフラブ“という言葉が流行り出しの頃だったと思います。
始まりは霊氣だった恩師との出逢いから自然と既に用意されているレールを歩むかのようにHOMEセラピストコース、PROコースと学びを進めることに。(もちろんスムーズとは言えなかったけど)
実践しながら、内側の自分と寄り添いながら、置いてきぼりになった自分と出逢っていきながら自分と繋がるが当たり前になっていくことによって気付きや内側の自分からの想いやこれまで本当は感じていた本音が溢れては抱きしめ「ごめんね」と「ありがとう」を1日の中で何度も何度も繰り返し、スーパーに行くだけで涙が溢れ、パートナーとの向き合いも自然と増え、感情のジェットコースターの中あっという間に1日を終える生活を半年間やり続けていたので毎日毎日あらゆる種類の涙を流しては書き記したり、言葉にならない自分の中での統合に時間を費やす期間を過ごしました。

あっという間に2年が経ち、この2年間も学び続けていた中で心から安心して帰れる場所があること、どんなことがあっても自分ごとのように話を聞いてくれる仲間がいること、やり方や小手先のメソッドではなく本質的な愛から導いてくれる恩師がいてくれることの大切さとありがたさに気付かされました。

こんな環境は世界中どこを探しても無いんぢゃないかなって思ってる。
もしあるとしたらそれは「家族」であり「心のHOME」だと思う。
そんな愛と光と安らぎのHOMEから一旦飛び立ち、本当の意味で自分のヒカリを表現していくフェーズとなりました。
これまでももちろんセッションや様々なプログラムを提供させて頂いてきましたが、なんだか今回は「今まで以上に、更に自由に自分のチカラを信じるのよ」と言われているような感覚です。

いつもそこにいてくれた環境が伝えてくれることってすごく沢山あって、「在る」時に学べるものももちろん沢山あるけど巣立ってから感じることのほうが多いように思うんです。
形としては無くなっても心の中にそこは在って、姿を変えてスピリットやエネルギーが変容していく。私の中で。
人も場所も環境も全部。
そんな感覚を言葉にしたのが「Pavilion of the Earth」です。

私はまだまだ愛について学んでいる過程だし、そのプロセスが終わることは無いと思っているんだけどいつかこの地球を去るときどんな事を思い返して、どんな事を感じるのかなって考えることがあります。

「こんな風に生きたかった」
「あの時本当はこうしたかったな」

私達には共通して用意されていることが「死」です。
今日という日も死に向かって時間が過ぎていくなら、あなたの中に在る本当の想いをあなたが分かってあげて、あなたが1番に寄り添ってあげて、人間らしさも丸ごと愛してあげられたらいつか来るタラレバの日が「楽しかったな」って心から思える日に変わるんぢゃないかなと思います。

あなたは今生きてて、どう感じてますか?
自分の人生に納得していますか?
シンプルでいいんです。

誰かが言ってた「愛さなきゃいけない」とか「ポジティブに考えなきゃ」とか「しあわせだと感じてるはず」とか
もう聞き飽きたよ。

まずは今の自分が感じてることを、あなた自身がありのままに聞いて感じてあげませんか?

「本当は?」

情報があまりにも多いこの時代だからこそ、自分以外の概念や“いつの間にか“に気付くようにすることが大切です。
もう本当はそんなことも抜きにしてあなたが今この瞬間に「安心を感じられているのか?」それに尽きます。

身体のどこかにチカラが入っていませんか?
エネルギーや見えない世界のことが分からなくても、本当はあなたの肉体が既に教えてくれています。

呼吸やつい出てくる言葉にあなたの今の状況が現れています。

涙が出てくるなら泣きましょう
辛いなら辛いって感じていいです
苦しいって感じてもいい。怒ってもいい。

ちゃんと感じてあげましょう。
ハートと身体が緩むまで安心させてあげましょう。
まずはそこから。



ここまで読んでいただきありがとうございます✨
次回もお楽しみに。

Pavilion of the Earth by.MARIE

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