吉備津の釜と間違った結婚

 「結婚できますか?」と占いで聞かれること多々あるが正直とっても困る。
相手を選ばなければ誰だって結婚できますよ、と答えたいところだがお客さんがそんな答えを求めてないことはこちらもわかってる。
「大丈夫ですよ、あなたは結婚できますよ。信じていればいつか必ず素敵なヒトが現れて結婚できますよ」と言われたいのだ。多分。
私はそんな優しくて無責任な台詞は吐けないのでこう答える。
「まず相手いるの?」「私に聞くより結婚相談所に行ったほうがいいですよ」
だってさー相手がいる状態での結婚の可否ならまだしも、結婚できますかってなに?
マジで申し訳ないんだが私は霊能者とか超能力者とか魔法使いとかそういう超常的な肩書きは持ってないんだなー。私は占いをやってますけど生まれつきやばい勘がある天才型の占い師じゃなくて地味な努力型なので。
「○月×日の○時に桑の木の下に行けば運命の人に出会えますよ」とか言えたらいいのだろうけど、管輅じゃないからそんなこと言えないよぉ。
そもそも質問内容が間違ってるのだ。真にお客さんらが聞きたいことは恐らく「私(僕)は結婚して幸せになれますか?」だろう。
しかし結婚して幸せになれるかなんてそんなの相手に寄るしか言えないし、なんで世の人間は男も女も結婚すれば幸せになれると思っているんだ?

 結婚して不幸になった話といえば「吉備津の釜」という話はご存知だろうか。
上田秋成原作の江戸時代に書かれた怪談短編集の雨月物語に収録されている話のひとつだ。
よく映画とか漫画になってるし有名作家の新訳とかも出てるし京極夏彦も雨月物語元ネタの短編を書いてる。
「吉備津の釜」は吉備というぐらいだから岡山県が舞台の話だ。酒と女が大好きなろくでなし男の正太郎をまともにするためにで嫁でももらうかーと神主の娘の磯良という女をもらうことになった。
そんで二人が結婚したらどうなるかしらー?幸せになれるかなー?と占いをすることになり、ここで出てくるのがタイトルの吉備津の釜である。
釜の上に蒸籠を置いて、その中に生米をいれて蓋をして釜を焚く。すると釜からうなり声みたいな音がするのでその音の長さとか大きさとかで吉凶をはかる占いなんだとか。一般的には鳴釜神事というらしい。
正太郎と磯良の結婚についてもこの鳴釜神事を行った。当然音がなるはず……と思いきや釜は鳴らなかった。音の長さとか大きさで占うってことは音が鳴るのが前提の占いなのに鳴らないってことは大凶じゃん!結婚すんなってこと!!?
と普通になるはずなのだが、「いやー多分神様の間違いですよねー。大丈夫っしょ、いけるいける」ということになり色々あって結局二人は結婚させることになった。占った意味がないじゃない。
そして二人は結婚した。嫁の磯良は甲斐甲斐しく夫の正太郎に尽くし二人は仲睦まじく微笑ましい夫婦となって一生幸せに暮らしました……でお話は終わらない。
正太郎が遊女のお袖と言う女にいれあげるようになったのだ。ほんとバカ。
で、詳細は省くが結局正太郎は磯良を騙してて捨ててお袖と京に向かって駆け落ちをする。磯良マジギレして病気になって憤死。
やったぜこれでお袖と二人で暮らすぜ!というところでお袖が謎の流行り病にかかり病気てしまうのだが実はこれは死んだ磯良の仕業だったのだー。
磯良は泥棒猫の命だけじゃ飽き足らず、正太郎の命まで狙ってるいるぞ!どうなる正太郎!?というのが吉備津の釜の粗筋である。多分だいたいあってると思う。詳しくは原作とか漫画とか読んで頂きたい。
古典も古典なのでネタバレにならないと思いますが結局磯良は正太郎を殺します。せっかく占って凶と出たのに占いを無視して結婚したらみんな不幸になった、というお話でした。
結婚したところで必ず幸せになれるとは限らないよね。

 ところで私の母は私が幼い頃からよくこう言っていた。
「あなたは本当に好きな人としかウィンタースポーツはやっちゃダメよ」と。
なんのこっちゃと思われるかもしれないが、私の母は俗に言う『ゲレンデマジック』とやらにかかって親父と結婚したらしい。それをずっと後悔しているのか子供の私にそう言い聞かせて育てたわけだ。
言われるたびに間違った結婚の結果生まれた自分は生まれたことが間違いだったのかなと思ったものである。
その呪詛のおかげで私はウィンタースポーツに縁がないまま育った。まぁ関東住みだし寒いし金かかるウィンタースポーツなんてやる余裕がないから別にいいんだけど。
うちの母だけでなく、元カレだとか元カノだとか嫁とか旦那とか人のこと悪様に言う人いるけどあれねー、私はあれよくないと思うんだよなー。
結局さー被害者ぶって私は悪くないの私は被害者なの私は可哀想なのと言ったところで、そういう人を選んで付き合ったのは自分でしょ?今の時代だいたい恋愛結婚でしょ?身から出た錆なのでは?
それとも私は他人を見る目がありません、私の目は節穴ですっていうアピールなんですかね。
というか、一度でも好いて付き合った人間のことをよくもまぁそう悪様に言えるよなと思う。可愛さ余って憎さなんとやらってことなのかもしれないし、事実なのかもしれないけど良くないと思うなー。聞いてて気分の良いものではないし。

 さて、話は戻って吉備津の釜の磯良ちゃんの話である。
作中で磯良と正太郎の間に子はないが、私はもし彼らの間に子供が産まれていたとしたら、磯良は確実に子供に呪詛を吹き込んで育てただろうと思うのだ。
磯良はろくでなしの正太郎に騙されて捨てられるまで献身的に夫に尽くした良妻だが、良妻が必ずしも良い母になれるとは限らない。
磯良は子供が女の子であれば厳しく躾けて「立派で誠実な男性に嫁ぎなさい」と言い、子供が男の子であれば「あんな男のようになるな」と言い聞かせたのではないか、と。
なんならまともに育てず虐待していたかもしれない、と私は予想する。
呪詛を吐かれて育てられた彼らの子供はどう生きてどう死んでいくのだろうか。
まぁ、吉備津の釜の夫婦に子供はいないので要らん杞憂ですが。『親の因果が子に報い』にという言葉もあるし、きっと男でも女でも正太郎と磯良の子供はまともな人生は送れないんじゃないかなー。
親のせいにするなよって言われそうだけど両親の夫婦仲が破綻していた人のホロスコープはだいたい大変そうなホロスコープしてるし、親の間違った結婚と因果のせいで子が不幸になることはあり得るんじゃないだろうかと間違って生まれた私は考える。

 結局何が言いたいかというと結婚しても必ず幸せになれるとは限らないってことと、結婚する時はちゃんと相手がどういう相手か調べてからにしなさいね、ってことと、それと最後に元嫁とか旦那とか人の悪口言うと後々自分や子供が不幸になるからやめなさいね〜ってことです。
言うて私も心根が畜生なので気をつけていても無意識に悪口言うこともありますけど、言わないように努力はしてる。
そんなわけで。
私も吉備津の釜のように正しい占断ができるようこれからも精進していきたいなーって話でした。おしまい。

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