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合宿(未来編)学び③~登山~

合宿2日目に山に登った。正直私が合宿に参加した楽しみの半分はこの登山にあったと言っても過言ではない。当初の私は高校の時に登山部に所属していたこともあり、自分の体力を十分に発揮できる絶好の機会だ、いざという時は他のメンバーの荷物を持ったりして助けるんだ、と意気込んでいた。

登り始めは敢えて後方に回り、運営メンバーと並行しながら登ることを選んだ。その理由としては、登りのペースが遅い子を見分けて何かしら手助けができると判断したから。最初にきっかけを貰ったのは、その最初の登り始めで運営陣のだいちゃんと話した時。

だいちゃんと話しながら、自分が信頼できる存在である皆の力になりたい、という旨を伝えると、彼からは「皆のことを信頼しているなら、『登り切りたいと思っている』皆を信じてあげたらどうかな」という言葉を貰った。

その時に、この登山は「皆のため」じゃなくて「私のため」に用意された登山なんだ、と思い出させられた。

登山は人生、というあやめさんの言葉を思い出す。1人1人の登り方に人生が現れている。

でもどのタイミングで皆を追い抜いていけばいいんだろう、と逡巡していると「多分ね、タイミングを見計らっていたら登山なんてすぐ終わっちゃうよ」と言われる。

なるほど、納得できた瞬間こそが「やるとき」なんだ。「元登山部だから」なんて肩書、捨ててしまえ。よし、と覚悟を決め、道なき道を両手を使い這うようにがむしゃらに登り進めていく。

背後からの「あまねならまだまだ行けるよ」という声に押される。私ならまだ力を出せる、と信じてくれているのがひしひしと伝わってきた。


中腹の1/3登ったところで休憩。私のすぐ後ろを追って来ていたたまきとちかに自分なら何ができるか尋ねた。なぜか涙が溢れて止まらなかった。

たまきはLDS生の中でも若い1年生の女の子。そんな彼女に対して、私は勝手に「色白で小柄で、天使のような可憐な少女」という人物像を抱いていた。

そんな可憐な少女が、顔を真っ赤にして息も絶え絶えになりながら、しかし歩調を緩めず私の数m後の急斜面を追ってくる。

「この女の子のどこにそんな力があるんだろう」ただただ圧倒される。感動とも、恐怖とも、ショックとも違う、言い表せない感情で満たされる。ただ1つ言えること。その瞬間に感じたのは「彼女の力を信じる自分でありたい」という強い願いだった。


休憩を終え、再び急登へ。運営の皆が、坂のずっと上の方から私を呼ぶ。頑張れ、もっと行けるぞ、と。こんなシチュエーションなら高校時代もあった。当時なら、頑張っているのに「もっと頑張れ」と言われることに不快な気分に陥っていた。

しかし今回は不思議と嫌な気分にはならなかった。負けじと「お~~~~っす!!!」と叫び返す。後方のメンバーにも届くよう、肺の空気を全部使い切るような勢いで。

完全に女を捨ててるな、まるで中年のおじさんだな。でもこの瞬間は、そんなおじさんのような、滑稽な自分も愛せる気がした。

「頑張れ」という言葉は確かに応援のメッセージではあるけれど、時としてそれ以外の意味も含まれているように思う。場合によっては皮肉な意味合いであったり、急かすようなニュアンスを感じ取れる。そんな時に心の中の小さな私が

「ああもううるさい!言われなくても頑張ってるんだよ!黙れよ!」とヒステリーを起こす。

でも今回の運営メンバーの「頑張れ」は、心の底から私の力を信じてくれているからだと思うことができた。

途中で何人か追い抜く。私のすぐ前を登っていたあつしを追い越した後、「すごく悔しいと思った」と言われた。勝ち負けを競うために登っているわけでもないのになぜなんだろう、と疑問に思う。

これは後日談になってしまうけれど、あつし曰く「あまね(私)が自分らしい登り方を出来ているように見えたから悔しいと感じたんだと思う」と話してくれた。言葉で表面だけきれいに整えて相手に手渡すのは簡単だ。でも実際の行動となるとそうもいかない。繕うことは出来ない。

ここで、私の中にある「願い」も、実際に行動に移す方が言葉で伝えようとするよりも遥かに説得力があるんだと実感できた。

みおちゃんのすぐ後ろを喚きながら追った。「悔しい。あまねに負けたくない。うるせえ(運営の人の「頑張れ」に対して)」と。私の中の冷静なみおちゃんは最早いなかった。

過去の私なら、躍起になって「は?返り討ちにしてやる」と自分を奮い立たせていた。しかし今回は、私の存在が皆を鼓舞できるならいくらでも叫んでやろう、と決めていた。

私は皆と比べると体力も経験値ある。だからこそ、登山の学びが少なくなることへの不安感もあった。だからこそ、叫ぶ他なかった。


3度目の休憩後の最後のラストスパート。皆が最後の力を振り絞り駆け上がって中、私はすかさず運営の加藤さんを捕まえて、自分の中にある葛藤をぶつけてみる。

「LDSオンライン10期の誰も私を見てくれているように思えない。普段のクラスで私が思いを共有しても3秒後には忘れられている気がする」

いつかの惨めだった、消えてしまいたかった自分に思いをはせる。本当は泣いてしまいたかった。

加藤さんと話していて気付いたのは、やっぱり私はどんな自分も愛していたい、そして大切にされていると感じながら生きたい、という願いがあること。

「皆に聞いてみたらいいんじゃないかな」という加藤さんの穏やかな横顔に少し安心する。皆から愛されているのかは、自分自身で確かめてみよう。


頂上から見た風景。雲がかった白い空。そのすぐ下にどこまでも続く稜線。遥か眼下には田園と小さく点在している家々。

それはいつか見た風景と似ていて。だけれど、確かにその時とは違う感情があった。

LDSオンライン10期との関わりの中、どこかで私の言葉なんて響かないな、と諦めていた自分。そんな自分を出すチャンスは今しかない。全員で輪になると、間を置かず、全員の顔を見て「私のこと好きですか??」と尋ねる。口を揃えて「うん」の返事が返ってくる。

「良かった」

安堵と、胸が熱くなるのを感じた。

自己評価としては、70点ぐらいだろう。登山中を通してずっと本気だったわけではないし、休むこともあった。もっと本気を出せる場面なんていくらでもあった。しかし私の存在が皆を鼓舞することに繋がっている、とはっきり実感できたのも確かだ。



このブログは私のためだと思って続けている。いいねが沢山欲しいわけでも、誰かの心に響かせるために書いているわけでもない。本当は合宿(未来編)④も⑤もあるはずだったけれど、ダラダラ書き連ねるのは意味がないと感じたため、ここでまとめ終えることにする。願いを形にしていくチャレンジの段階に移ろうと思う。

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