毒の私も愛して、毒まで愛して。

甘ったるい金木犀の香りはきらい。
冷たい風にのって流れてくる仄かな香りくらいでちょうどいいし、秋の香りはやっぱり燻された空気の匂いだし、秋の代表的な香りと言わないで欲しい。

ぶつかってくる人がきらい。
電車とか、通路とか、自分の後ろを通り過ぎる時に十分な隙間があるのにぶつかってくる人。微妙に擦れてくる感じもいや。
つい振り向いて隙間の確認しちゃうし、毎回内心「!?」となっている。

大きい音を出す人がきらい。
物を置いたり、扉の開閉だったり、わざとじゃない時は例外として普通に動けばそんな音しないだろうというくらいのdBを生み出す人。びっくりと少しの恐怖を与える思いやりのない人。

「きらい」という言葉は余地がない否定の言葉で、聞いた時も使った時も心の隅の方がモヤッとなんだか悲しくなるからいつからかあまり使わなくなって、代わりに「苦手」になった。

だけど、「苦手」ではどうしても済まされない「きらい」は私にもある。
ちっぽけな苦手な事柄が積もって積もって沸点に達して、私はこれがきらいなんだなぁと認識する。
そしてきらいと認識したものには容赦なく性格が悪くなる。引かれるくらいに。でもそこが私の愛すべき毒の部分。

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