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傷痕を守る。

文化人類学の教授に「キミをみると鉄男を思い出すよ」そう言われたのは十九歳の頃。

塚本晋也監督の映画のタイトルということをその時はじめて知った。わたしが人生で一番メタリックだった時期なので、あながち間違いではないが、あんなにイカれてはないと思った。
毎月東京に通って一日中ボディピアススタジオに入り浸り、そのたびに身体に金属や傷が増えて帰ってくる生活をしていただけ。

教授はわたしのことを興味深いと言って色んな民族のイニシエーションを教えてくれたりしたけれど、わたしは自分の身体改造を通過儀礼のようなものと思ったことはない。もちろん自傷行為でもなく、髪の毛を切る事や、目蓋に乗せる色にキミドリを選ぶ事、ネイルをくすんだピンク色にする事と同じ感覚なのだ。いいと思ったから、やる。特別な意味を持たせたことはなかった。

同じ頃、スプリットタンにするために舌を切り始めていた。舌先はふたつに分かれていた方がかわいいと思ったから。舌ピアスの穴にデンタルフロスを通してきつく縛ると徐々に切れていく、人体って不思議だな。
一瞬ではなくずっと痛い。鈍痛。疼く。
完成まで一ヶ月程。それが当たり前になり、ずっと痛みとともに生活していると解放された瞬間少し寂しいと思ってしまった。

卒業式には教授にふたつに別れた舌を見せて、
ふたりでにっこり笑った。

舌の断面の触り心地をわたしは知っている。
チューイングガムで風船を作るのが下手になった。
人生の半分近くこれで生きているけれど気に入っている。かわいい。

今あらためて考えると、わたしのボディピアスや身体改造に意味があるとしたら《コミュニケーション》だったのかもしれない。そして誰にやってもらうかが重要で、わたしの身体に傷をつけられるのはわたしの信頼する2人と自分自身しか居ないし、彼らの作品を自分の身体にできるだけ長く留めたいと思っている。

久しぶりに傷を増やしに行こうかな?

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