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探偵の昔ばなし

東京の有名繁華街にあった某社でアルバイトとして働き始めたのは、昭和62年(1987年)の夏だった。そう、当時は夏休みのバイト感覚での軽い気持だった。
 探偵には子供の頃から漠然と憧れを持っていた。私の子供の頃…テレビドラマでは警察官や探偵が活躍していた。
 特に探偵は、少し廃退的で刹那的は生き方を好み、独特の正義感と価値観を持った非日常的な人物、職業として描かれ、私の漠然とした憧れと好奇心の対象となっていた。
 最初の調査会社では、浮気調査の調査員として働いた。
バイト初日に仕事上の留意点、小型カメラ、無線機の使い方、符丁や仲間同士の合図などに関する説明があり、今は懐かしい呼び出し専用のポケットベルとドイツ・ローライ社製のポケットカメラを貸与された。
 いよいよ、探偵デビューである。今でも初めての現場は覚えている。下町の工場。夕方の風景。対象者の性別と預かり写真のおぼろげな記憶。たしか横向きの顔と正面を向いた顔の2枚の写真があり…。
 バイトは予想と反して忙しかった。朝から深夜までの勤務が続いたり、遠方地での現場があったりで殆ど自宅に帰ることが出来なかった。当時の会社の社員寮にあった2段ベッドと先輩の歯ぎしりが懐かしい思い出だ。
 その会社でのバイトは夏とともに終わった。そして、探偵の仕事をもう一度したい…と、思うようになっていた。
 
平成元年(1989年)私は都内にあった大手調査会社の面接を受けた。タウンページに掲載されていた会社に片端から電話を入れ、「従業員の募集はありますか?」と尋ね回り、ある一社で面接の運びとなったのである。
 その会社は当時、業界の最大手と呼ばれる会社だった。全国に支社を構え、東京だけでも20人以上の行動調査要員と10名程の他の調査要員が在籍していた。
 私は行動調査の要員として会社の規定にある3か月の研修を無事に終了して晴れて正社員となった。会社から頂いた社会保険に記載された探偵会社の会社名が眩しく誇らしかった。
 正社員となってから数年間、毎日、毎日、多いときは一日に複数の現場で行動調査を行った。当時はバブル景気の影響もあり、探偵は大忙しだった。対象者も運動性能の良い高級自動車に乗る者が多く、排気量の小さい調査車両での尾行は緊張の連続だった。(確かエアコンもなかったな…夏の張り込みで汗疹ができた)
 また、クリスマスの前後は一日に3現場の担当や24時間連続での仕事もあり、肉体的にも精神的にも苦しいと感じたが、ある意味、良い時代だったのかもしれない。
 ある浮気調査では、男性対象者と相手女性の始まりから終わりまでを目撃した。初めての密会、初めての不貞、初めての旅行、そして人気のない公園での別れ。その時、女性は泣いていた。不倫は妻を泣かし、相手女性を泣かし…しかし、昔から繰り返される人間の営みの一つであり、年齢も職業も地位も関係ない…と、実感したものだ。
 
それから数年がたち、私は行方不明者の捜索や企業や個人の信用などを調べる部署へ異動となった。
元々、調査に関わる仕事に就いたからには、「行動調査以外の仕事も経験したい」と思い、自ら配置転換を希望し、その希望が叶ったのだ。希望を叶えてくれた上司には今でも感謝している。
その部署は警察OBの方だけで構成されていた特殊な部署でもあり、新人の私は朝の掃除やお茶くみから始まり、吸い殻の始末から弁当の買い出しまで…非常に上下関係の厳しい職場であり、半人前は半人前として扱われる職場だった。そして、それが、「早く仕事で一人前になりたい!」と強く思わす職場でもあり、そのような職場で働けたことを深く深く感謝している。
始発で会社に行き、終電で帰る生活。休みの日も家出人の事を考える生活。常に家出人の写真を持ち歩く生活。そんな生活を楽しむ自分が確実にいた。

阪神大震災が起こり、オウム真理教が一連の事件で世間を騒がせた頃、私は周囲から少しだけ認めて貰える立場になった。そして、様々な家出調査に携わることが出来た。阪神大震災直後に家出人を探しで行った神戸「三宮駅」を覚えている。10年近く家出していた者を探すため、約1週間にわたり張り込みを行ったドヤ街と職安の匂いを覚えている。河川敷のブルーテントで暮らすホームレスの顔を見るために、コンビニで大量におにぎりを買い込み、朝5時頃からおにぎりを配って歩いのを覚えている。それから、ホームレス支援団体で歌った讃美歌や、飲み屋で働いていた家出人が歌っていた歌や、未成年の家出少女を保護するため張り込んだ繁華街の喧騒や…どれもこれも鮮明に覚えている。
そう、そして一番、覚えているのは見つけることが出来なかった家出人とその家族、そして、当時の調査状況。
「あの時、アレをしていれば」「もっと上手く聞き込みをすれば」「不確実な情報をもっと精査していれば」などなど後悔することばかりだ。
後悔が一番の思い出とは…情けない限りだ。

 約25年にわたり関わって来た調査業界には、私が調査業に携わり始めた昭和62年頃から現在に至るまで解決出来ていない様々な問題もある。
人権や差別に関する問題。違法機器の使用や公簿の違法入手に関する問題。契約金や解約金を巡る消費者とのトラブルや誇大広告の問題。まさに、問題山積の業界である。大きな声で「私の商売は探偵です!」と言い出せない仕事だとも感じている。
しかし、私は調査が好きだ。好きだから仕方ない。「もう少しだけ調査業界に身を置いてもいいかな」と考えている。
だからこそ、調査に「こだわる」探偵でいたいと考えている。

追記、現場に向かう途中や帰宅途中で事故に遭い他界した先輩や同僚を思うと今でも悲しい。彼らが夢に現れる。私は不思議な感覚で元気な彼らを見つめ…事故は夢だったのか?それともこれこそ夢か!と夢の中で自問自答する…

私の駄文を読んで下さった仲間たち。
どうか事故のないよう無理をしないで頑張りましょう。


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