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【解説】ユダヤ・ボルシェヴィズム|ロシア革命とは何か

こんにちは。いつもお越しくださる方も、初めての方もご訪問ありがとうございます。

今回はユダヤ・ボルシェヴィズムの動画を作成しましたの、その動画の紹介になります。もしかすると事実に反する内容もあるかもしれませんので、エンターテイメントだと思って、疑いの目をもってご視聴いただければ幸いです。

ユダヤ・ボルシェヴィズム

はじめに

こんにちは。

今回は、ユダヤボルシェヴィズムについて見ていきたいと思います。

ユダヤボルシェヴィズムは、1917年のロシア十月革命が、ユダヤ人によって引き起こされ、彼らが権力を握ったという考えに根ざしています。

ボルシェヴィキというのは、ロシア十月革命を主導した、ロシア社会民主労働党の派閥の一つのことです。

――また、きわどいテーマを選びましたね。

この考えは批判者からは、反共産主義、反ユダヤ主義のデマと言われています。

また、世界の共産主義はユダヤ人によるもので、西側諸国の政府はシオニスト組織によって握られているという考えと、深く結びついています。

――都市伝説や陰謀論の一つ、ということでいいんですよね。

今回はこのユダヤボルシェヴィズムを紹介していきたいと思います。

反ユダヤ主義

ロシア革命後、『ユダヤのボルシェヴィズム』というパンフレットが、内戦中、ロシアの反共産主義勢力の間で広まりました。

1930年代に入ると、ドイツやアメリカのナチズム団体、共産党政権下のポーランドでも、ユダヤボルシェヴィズムの考えが広がりました。

共産主義政権下のポーランドでは、不自然なほどにユダヤ人が影響力を持っていると噂されました。

中央委員会

革命の中心地のベルリンやペトログラードではなく、イギリスで「ボルシェヴィキとドイツ人、ユダヤ人が結びついている」という言論が登場します。

ボルシェヴィキの指導者たちは、二月革命が起こると、封印列車でロシアに入国しました。

この時、ドイツ政府がボルシェヴィキの指導者に列車を用意し、革命家たちをロシアに帰国させたと言われています。

――ドイツ政府は、ロシアで革命が起これば、第一次世界大戦中のドイツに有利に働くと考えたのでしょうね。

革命を成功させたボルシェヴィキの幹部である中央委員会のメンバーの構成が、ユダヤボルシェヴィズムという考えに影響を与えているように思います。

――つまり、ボルシェヴィキの幹部の中にユダヤ人が多くいた、ということなんですね。

レーニンもユダヤ系だったと言われていますが、レーニン以外の中央委員会のメンバーにはつぎのような人がいます。

グリゴリー・ジノヴィエフ、レフ・カーメネフ、グリゴリー・ソコリニコフ、ヤーコフ・スヴェルドロフ、レオン・トロツキー、アドリフ・ヨッフェ。

レーニンも含めると確かに最高幹部の内、ユダヤ人が主勢力を形成していたようには思います。

――レーニンが自分のことをユダヤ人と自認していたかどうかによっても見え方が違ってきますね。

シオン賢者の議定書

1920年代に、ユダヤボルシェヴィズムという概念が世界に広まりました。

これには、ユダヤ人の秘密の陰謀を記述したとされる偽書『シオン賢者の議定書』が出版され、流通したことも大きく影響したと言われています。

ユダヤ系アメリカ人の学者は、ドイツなどに亡命した元白軍のロシア人によって、ユダヤボルシェヴィズムという考えが広まったとしています。

――シオン賢者の議定書ですか。

シオン賢者の議定書は、スイスのバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議の席上で発表された、決議文という体裁をとって広められた偽書とされる文書をいいます。

シオン賢者の議定書については、また別の機会に解説できればと思います。

この頃の、反ユダヤ主義の多くが、元白軍のロシア人に由来しているとしています。

――白軍というのは、ロシア革命以降、革命派の赤軍と戦った軍のことですね。

1919年以降に、ヒトラーが唱えた、国際金融資本からボルシェヴィキに至る、ユダヤ人共同体による世界征服の陰謀説は、ロシア人亡命者の影響を受けていたとする説もあります。

この考えには一定の批判もあり、実際に、ユダヤボルシェヴィズムの考えを強化したのに亡命ロシア人が貢献したのは間違いないとしながら、第一次世界大戦後のドイツでも、すでに、ユダヤボルシェヴィズムの考えは存在していたとしています。

ヒトラーは、1918年にミュンヘンで、ドイツの共産主義者が起こした、ドイツ革命を目の当たりにしていますので、ドイツ革命の影響も大きいものと思います。

ドイツ革命もユダヤ人が中心的な役割を演じたと、ヒトラーは考えていたということですね。

ユダヤ人の構成

革命以前の、ロシア帝国で、反ユダヤ主義は、文化的にも制度的にも存在していました。

多くのユダヤ人はロシア帝国の緩やかな、もしくは革命的な変化を望んでいたと言われています。

実際に護憲派から、穏健左派、極左政党に至るまで、ユダヤ人は多くの運動に関わっていました。

――ロシア帝国での反ユダヤ主義に対して、当然ユダヤ人の多くも許せないと考えていた部分はあったでしょうね。

1922年の調査ではボルシェヴィキ党員の内、5%強がユダヤ人だったとしています。

――ボルシェヴィキ全体でみると、多いという感じではなかったんですね。

1936年から1940年にかけて、スターリンは、党や政府、外交、軍事の上級職からユダヤ人の多くを排除しました。

――スターリンとボルシェヴィキ内のユダヤ人との間で、対立があったということでしょうか。

この辺りも機会があれば、いずれ解説したいですね。

スウェーデンの歴史家は、1920年代の主要なボルシェヴィキの75%がユダヤ人であると述べています。

――具体性のないぼやけた表現ですね。

現在の学者の一部は、これを途方もない誇張であるとしています。

2013年のウラジーミル・プーチンは、モスクワのユダヤ人博物館で、第一次ソヴィエト政権の80%から85%がユダヤ人で構成されていたと発言しています。

別の歴史学者は、プーチンによる無知な発言であると批判しています。

――プーチン大統領を含めてデマに踊らされているということですか。

とはいえ、レーニンを含めると、最初の中央委員会の政治局、7名の内、5名がユダヤ人だったことは無視できない数字ではあると思います。

ドイツでの議論

話をドイツに移しましょう。

ドイツでのユダヤボルシェヴィズムという考えのルーツは、ナチスのアルフレート・ローゼンベルクに見ることができます。

ローゼンベルクは、ロシアのボルシェヴィズムを、アーリア人に対する、ユダヤ人・スラブ人・モンゴル人の反乱と位置づけました。

ローゼンベルクは、アーリア人をロシアの歴史の担い手と位置づけており、ボルシェヴィキは、ロシア国民の利益ではなく、ユダヤ人や中国人の利益を代弁する存在としました。

ヒトラーは、ユダヤマルクス主義の三つの悪徳を民主主義、平和主義、国際主義と考え、ボルシェヴィズム、共産主義、マルクス主義の背後にユダヤ人がいるとしました。

――民主主義や平和主義が悪徳なんですか?

――そんなことはないでしょう。

例えば、コミンテルンの日本支部だった日本共産党の22年テーゼでは、旧体制を打倒するために民主主義を利用し、旧体制を打倒した後に、民主主義から独裁制に切り替えるということが提唱されています。

実際にそういった文書が残っていますが、陰謀史観として民主主義や平和主義を悪徳と解釈しているということなのだと思います。

――コミンテルンは民主主義を帝国主義を打倒するためのメソッド、として利用しようとしていたということですか。

――にわかには信じがたいですが。

ドイツのジャーナリスト、ディートリヒ・エッカートは、モーセからレーニンまでのボルシェヴィズムの中で、ユダヤの歴史の中にユダヤボルシェヴィズムの存在があると主張します。

――ここまでくると完全にこじつけのように感じますけれど。

1923年にローゼンベルクがシオン賢者の議定書を出版します。

1925年に、ヒトラーも我が闘争を出版し、ボルシェヴィズムを、世界支配を目論むユダヤ人の努力としました。

ナチスでの議論

1930年代から1940年代初頭にかけて、ドイツのユダヤボルシェヴィズムのプロパガンダは、ウルリッヒ・フライシュハウアーが創設した国際通信社が担いました。

政府が出資していたドイツ軍事科学協会のエヴァルト・バンセは、ソヴィエトの指導層のほとんどをユダヤ人であるとし、無関心で無知なロシア人を支配しているとしました。

30年代半ばまでに国民啓蒙宣伝省は、反コミンテルンと呼ばれる特別機関を設立し、反共産主義プロパガンダを作成し、ユダヤボルシェヴィズム理論を宣伝することに専念しました。

国民啓蒙宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルスはこう言っています。

「ユダヤボルシェヴィズムは、根無し草で遊牧民的な国際的陰謀家たちの利益のために、西洋文明が成し遂げたすべての経済的、社会的、国家的、文明的進歩を完全に破壊することを意味する。」

親衛隊全国指導者のハインリヒ・ヒムラーはこう主張します。

「ヨーロッパの中心であるドイツで、ユダヤボルシェヴィキの亜人革命を内外問わず、二度と起こされることがないように注意しなければならない。」

――亜人というのは、人間以下という意味ですよね。

そうですね。

差別的な表現であると同時に、戦争プロパガンダの一種とも解釈できると思います。

1941年、第一次世界大戦のバルバロッサ作戦は、ボルシェヴィズムに対するヨーロッパの十字軍として描かれました。

演説の中でヒトラーはこう主張します。

「20年以上にわたって、モスクワのユダヤボルシェヴィキ政権は、ドイツだけでなく、全ヨーロッパに火を放とうとしていた。」

「モスクワのユダヤボルシェヴィキ支配者は、我々と他のヨーロッパ諸国に自分たちの支配を強要しようとゆるぎない姿勢で取り組んできた。」

「今こそ、アングロサクソンのユダヤ戦争屋と、モスクワのボルシェヴィキのユダヤ人支配者の陰謀に立ち向かう時が来たのだ。」

――1930年代末までにボルシェヴィキの多くのユダヤ人が、スターリンによって粛清されていたと思いましたが。

そうですね。

当時のソ連にユダヤ人活動家が全くいなかったとは言えないですけれど、少なくともナチスがユダヤボルシェヴィズムの概念を最大限に利用した頃、ボルシェヴィキ内のユダヤ人の発言権が縮小していた時期だったようには思います。

ドイツ国外での議論

ドイツ以外でのユダヤボルシェヴィズムについて見ていきましょう。

イギリスのヘンリー・ハミルトン・ビーミッシュは、ボルシェヴィズムはユダヤ教と同じものであると述べています。

ウィンストン・チャーチルは、シオニズムとボルシェヴィズムがユダヤ人の魂を巡る戦いを繰り広げていると主張しました。

「ユダヤ人のボルシェヴィズムは何も新しいものではない。」

「ヴァイスハウプトからマルクス、そしてトロツキー、クン・ベーラ、ローザ・ルクセンブルク、エマ・ゴールドマンに至るまで、文明を転覆し、不可能な平等に基づいた社会の再構成を行うための世界的陰謀は着実に拡大している。」

ヴァイスハウプトは秘密結社、イルミナティーの創設者、クン・ベーラはハンガリーの共産主義者、ローザ・ルクセンブルクはポーランド生まれのドイツの共産主義者、エマ・ゴールドマンはリトアニア生まれのアメリカの無政府主義者のことです。

――イルミナティーの創設者というのはユダヤ人だったんですか?

そういった資料を他では見たことがないですが、当時のヨーロッパでは、そういった認識の人がいた可能性はあったのかもしれませんね。

作品

ユダヤボルシェヴィズムを扱った作品には次のようなものがあります。

アメリカの作家、エリザベス・ディリングは、フランク・ジョンソンの名前で、『オクトパス』という作品を自費出版し、ユダヤボルシェヴィズムの理論について述べています。

アメリカンナショナリスト誌の編集者、フランク・ブリットンは「共産主義の背後にあるもの」を1952年に出版し、共産主義はパレスチナを巡るユダヤの陰謀であるという話を広めました。

学者の一部は、共産主義に多くのユダヤ人が参加したことについて、反ユダヤ主義や既成政治に対する抵抗運動だったと主張しています。

反ユダヤ主義者たちの物語は、これを誇張したものとして批判しています。

「反ユダヤ主義に対するユダヤ人の抵抗が、反ユダヤ主義的な行為を合理化するために利用された。」

フィリップ・メンデスはこのように言っています。

――ニワトリが先か、卵が先かという論争に近いものがありそうですが。

これについては、両者ともにプロパガンダ的な側面があるような気がしますね。

今回はここまでとなります。

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最後に

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