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アホ男子たちよ、永遠に

母から定期的に送られてくる荷物の中に、新聞の切り抜きがたまに入っています。子育てに関するコラムが多く、いつもありがたく読んでいます。今回その中に、衝撃的なものがひとつありました。

それは、筆者である大阪教育大学准教授、小崎恭弘さんの少年時代について書かれたもので、ざっくり内容を説明すると、

『男の子、特に小学生男児という生き物は、純粋かつ最強のアホであり、本当にしょうもないことばかりするのだが、一生懸命遊び、ふざけ、大笑いしたその時代があるからこそ、その後の人生における力がつく。だから世の親御さんたちは、男子のアホなおふざけを温かい目で見守ってあげましょう。』

というものです。

(実際の記事は素晴らしくまとまっていて、笑いの中にも学びがあり、こんな要約で申し訳ないほどです)

そこで筆者の小崎さんは、自身の小学生時代の思い出について、こんなことを語っています。


以下抜粋です。

「給食は毎回必ず牛乳の早飲みをし、ふざけて笑わせ合って全身牛乳まみれになっていました。カンチョーがはやった時は、隙を見せないようにお尻を椅子にくっつけたまま教室の中を移動していました。授業中先生に見つからないように、体操服に着替えるというブームもありました」


………。


男子だった皆さん。

これはマジですか?

あなたたち、本当にこんなアホなことしてたんですか?

私としたことが、同じ教室にいながら、全く認識していなかったんですけど。

これらに類する、さぞくだらなく、そして面白かったであろう事柄を、みすみす見逃していたかもしれないなんて、本当に自分の少女時代が悔やまれてならない。
なんて勿体ないことをしていたんだ自分。

いても立ってもいられなくなり、私は、一番近い「男子」である息子にインタビューしてみることに。


私「幼稚園で、おともだちと何して遊んでるの?」

息子「おなら早出し競争」


いきなり結構なのが来た。


しょっぱなからレベル高めのやつが出てきて、嬉しいんだか、情けないんだか。

いや、だいぶ情けない。正直脱力した。かなり複雑な気持ちである。ちょっとしたおバカエピソードくらいならまだしも、おなら早出しって。心の底から、勝ってほしくない。

私ったら、実は心の奥の奥の方で、お友達とボールを蹴り合ったり、砂場でお城を作ったりしている、天使のような息子の姿を期待していたみたい。

それが実際は、おならをいかに早く出せるかを競うという、世界一どうしようもない大会を繰り広げているというのだ。

ボールも砂も必要ない。必要なのは、尻のみ。今流行りの、サステナブルってやつ?

親の(複雑な)心、子知らず。


今まで、なんとなく感じてはいたものの、目を逸らしていた事実が確実なものとなった。「うちの子に限って」なんてことはない。男子は幼児の時点ですでに大抵がアホであり、息子も全く例外ではなかった。
トホホ。

次に、かつての男子である夫に聞いてみた。

私「小学校の休み時間さぁ、友達と何して遊んでた?」

夫「えー覚えてないなぁ」

私「カンチョーとかって、友達同士でし合ってた?」

夫「あのさぁ、しないわけないじゃん。男だよ?」

なんと…。

「しないわけがない」ときた。

・痛い
・不快(する方もされる方も)
・別に楽しくない


など、しない「わけ」は沢山あると思うのだけれど、おそらくそれは私が女だから思うこと。男子にとってはそれらはカンチョーをしない理由にはならないのだろう。

私にとって、するのが当たり前だったことといえば、

ごっこ遊び
あやとり
着せ替え
塗り絵

少し年齢が上がってからは

シール集め
プリクラ交換
かわいい文房具を揃えること
etc


私は女子だった時期をとうに過ぎた人間だが、あの頃のこまごまとした遊びや、「かわいいもの」を介した友達とのコミュニケーションは、それはそれは甘美な思い出として、色褪せずに心に残っている。

大好きだったアルミのおままごとセットが奏でるカチャカチャという音。

1日に何度も着せ替えたリカちゃん人形のドレス。

セーラームーンの下敷きや、ピンク色の宝石が付いたロケットペンシル。良い香りのする消しゴムは、眺めているだけで時間のたつのも忘れるほどだった。

大きなアライグマのキーホルダーは、買ってもらえた暁には、もう一生何も欲しがりませんからと言って親にせがんだし、手に入れた瞬間は身悶えた。(結果私の発言は大嘘となったが、その時は本心だった)

未だにそれらの形や色だけでなく、手触りすら覚えている。そういったものを、見せ合いっこしたり、交換したりと、本当に心震える時間だった。


それが男子たちときたらどうだ。彼らの記憶にあるのは、かつての旧友たちの肛門の感触、そして、カンチョーされて身悶えた瞬間。あるいは、友人の尻に指をツッコミ、爆笑した時間だと言うのか。

私が夢中になったあの遊びの数々と、カンチョー合戦が、同じ時間と空間の中で行われていたなんて信じられない。いや、信じたくない。

でもでも…。


今もしあの頃に戻れるというのなら、間違いなく男子の遊びに参加してみたい。さすがに女子は入れてもらえないだろうから、少年の姿を借りて………

でも、この世にドラえもんが存在しない限り、そんなことは無理……。


と、いうわけで。


開催しました。第一回、西野家お尻ぺんぺん大会@自宅

参加者は、私、娘(5)息子(4)の3人。

ルール
・お尻を隠すのは椅子のみ(私は木製のダイニングチェア。子供達は、子供用スモールチェア、木製。)

・相手のお尻がみえている時、「隙あり!」と叫びながらお尻を攻撃。ただし、カンチョーは危険なので、お尻を優しくぺんぺんするのみとする。叫び声のキレや大きさも加点対象となる。

・制限時間は30分。全員が座ったまま、動かないという事態にならぬよう、3分に1回は必ず立ち上がり、場所を移動しなければならない。その際、お尻に椅子をくっつけながら移動して良い。


これらのルールを3人でしっかり話し合って決め、いざ勝負。戦いの火蓋が切って落とされた。


日常生活を送りながら、必死にお尻を守る私たち。


ガタガタ


ゴトンゴトン!


隙あり!!ペチン!


ギャハハハハ


くだらなくも楽しい時間が5分ほどすぎた頃、事件が起きる。

ピンポーン

た、宅配便だ…!!!

「お母さん、早く出なよ」
とニヤニヤする子供達。

「えっ、いや出るけど」(お尻ガラ空きになる…どうしよう)


ゴトゴト(とりあえず、律儀に椅子でお尻を守りながら玄関へ)


うーん。


椅子をお尻に当てたまま、この先をシミュレーションしてみる。

片手で椅子を尻の位置に保ちながら、ドアを開ける

椅子持ってる方の手がプルプルし始める。

ヤマトのお兄さんに変な目で見られる

印鑑orサイン。椅子の方の手が限界を迎える

荷物を受け取る。いやたぶん受け取れない。


詰んだ。


というか、そもそもこの姿で出て大丈夫なのか?

インターホンに映る姿は、いつも来てくれるヤマトのお兄さん。


《怪しい奴(家庭)と思われたら困るよなぁ。

いや、困るかな?別に迷惑かけてるわけじゃないし、どう思われてもそんなにダメージないのでは?

いやいや迷惑でしょ。そんなおかしな家主がいる家に毎回荷物を届けるお兄さんの身になりなさいよ。

いやいやいや、でもここでつまらないプライドのために勝負を捨てれば、母の名がすたる!どうすれば…!》


その時思いついた妙案。それは


洗面器


です。


玄関脇にちょっとしたクローゼットがあり、そこに金魚の水槽の水換え時に使う、古い洗面器が置いてあるのを思い出したのです。


これしかない!!!


すぐ後ろには敵(子供たち)の姿。

椅子を置き、洗面器の元へ走る私。

すぐさま洗面器を我がお尻へ!!




私「はーい」

ヤマト「こんにちはー。Amazonからのお荷物でーす」

私「どうもー」

あくまで自然に。笑顔で。

もしお兄さんが私のお尻の洗面器を見て、怪訝な顔のひとつでもしようものなら、

「ああコレ?コレはね、深い意味は無いんですけどね。ちょっとエクササイズ的な?」


なんてセリフすら頭の中で準備しながら、私はナチュラルに尻を守っていました。


が!!
そこへ飛び込んできた言葉が。


娘「えー、お母さんルール違反じゃん。お尻隠すの椅子だけって言ってたよ?」


おい。


お尻隠すとかいま言わないで頼むから。

息子「お母さんのズボンは〜穴が開いて〜お尻が丸見えなんで〜す」


おい。


なに調子乗ってわけのわからないギャグ飛ばしてんの。面白くないから。


やはり息子はアホである。


ズボンに穴が開いてると本気で思われたらまずいと気が動転し、


「やめなさい。もう!」

と言って、つい洗面器を置いてしまったが最後。


お尻に激痛が!


ペチィーーーーーン!!!!

ペシペシペシ!!ペチィーン!!!


叩かれまくる私のお尻。


おい子供達よ。


やっぱりアホだよ君たちは。


痛すぎるよ!!!!


優しくぺんぺんじゃないの!?!?!?


笑い転げながら逃げていく子供達。テンション上がった奴らの力、恐るべし。


てか「隙あり」言ってないからな。点数にならんからな。

ヤマトのお兄さん、訳のわからない親子を見ても、さわやかな笑顔で対応してくれてありがとう。あんたプロだよ。


そんなこんなで、痛むお尻をさすりながら、子供達と笑い転げた夏休みの午後でした。


それにしても、子供たちの爆笑っぷりは、見ているこちらが笑ってしまうほど。

普段子供達に、

「人に楽しませてもらうことを期待する人生ではなく、楽しいことを自ら探して、作りだして行ける人生を送りなさい」

なーんて偉そうに言っている私ですが、そんな頭でっかちな思いに囚われていた自分を少しだけ反省するきっかけになりました。

これまで子供たちには、なるべく私から遊びを提案しないようにしていたし、彼らがどんな遊びを選び、そしてそこにどんな工夫を織り交ぜていくのか、その過程を観察しているようなところが私にはありました。

でもそれって、私はどんな立ち位置なの?

一段上の場所から高みの見物をして、子供の成長を見守っているような態度をとって。


親ってそんなに偉いんだっけ?

自分で遊びを創造する力、楽しく遊ぶために工夫する力。

それらはもちろん大切だけれど、親である私に大切なのは、それを偉そうに説くことではなく、同じ目線に立って、子供の心にかえって一緒に遊ぶこと。そしてその遊びを一番に楽しむ姿を見せることなのかもしれない、と感じました。

だって私は決して、遊びを教える技術なんて持ち合わせていない。


遊びをクリエイトし、遊びをとことん楽しむ才能を持っているという点では、きっと小学生男子には敵わない。

彼らはおバカであり、同時に天才でもあるのだ。

愛すべきおバカ男子たち、楽しい夏の日をありがとう!そのアホさ、永遠なれ。

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